坂本花織選手の引退にエール、88歳の製氷職人が60年以上の情熱を語る
フィギュアスケートの世界では、選手たちの華麗な演技を支える影の立役者がいます。その一人が、60年以上にわたってリンクを作り続ける高橋二男さん(88)です。2026年3月25日に世界選手権が開幕し、引退を控える坂本花織選手が国内で何度も滑った舞台をしつらえてきた高橋さんは、「現役最後だから、思い切り楽しんで演技をしてほしい」と温かいエールを送っています。
職人技で作り上げる美しい氷、仮設リンクの緻密な工程
昨年12月中旬、国立代々木競技場第一体育館では、五輪出場選手を決める最終選考会を兼ねた全日本選手権が開催されました。スケートリンクの設計・施工を手がける「パティネレジャー」に所属する高橋さんは、選手らが演技を披露するリンクに、手際よく水をまいていました。
仮設リンクの製作は大会の1週間前から始まります。体育館の床にシートを敷き、その上に冷却パイプをくまなく配置。そこに水をまいて氷を張っていく工程は、まさに職人技です。1時間に1回、昼夜問わず計50回、交代で水をまくことで、厚さ6センチの美しく滑らかな氷が完成します。
選手の活躍が一番の喜び、リンク脇で注視する職人の姿
大会が始まると、高橋さんの姿はリンク脇にありました。競技中は選手が滑る様子を注視し、15分間の整氷時間になるとジャンプでできた穴を見つけ、シャーベット状の雪や水を使って修復します。「自分たちが作った氷の上で、選手が良い成績を残してくれるのが一番の喜びですから」と、現役を続ける理由を語ります。
戦後から続くスケートとの出会い、リンク設営の道へ
宮城県生まれ、文京区育ちの高橋さんとスケートの出会いは、戦後間もない頃でした。中学生の時、自宅近くの後楽園にアイススケート場ができ、放課後に時間を見つけては滑りに行ったそうです。高校卒業後、スケート場の近くのスケート靴の店を手伝うようになり、店を営んでいた元フィギュア選手の影響でリンク作りに携わるようになりました。
初めて手がけたのは、1960年に中央区晴海にできた「東京国際見本市会場」のスケート場。開業すると多くの客が押し寄せ、がむしゃらに働いたといいます。リンク設営を専門とする業者は珍しく、1972年の札幌五輪などではスピードスケートやフィギュアの会場設営も任されました。
一度は退職も復帰、スケートブームに後進育成で貢献
一冬で五つの仮設リンクを作ったこともありましたが、1998年の長野五輪を最後に定年退職し、一度は現場を離れました。しかし、2006年に古巣から「後進を育てるために手伝ってほしい」と声をかけられ、復帰。この年は荒川静香さんがトリノ五輪で金メダルを獲得し、浅田真央さんも登場して再びブームになった時期でした。これ以後、プロ選手のアイスショーや競技会のリンク設営のため、各地に出向く生活を続けています。
坂本花織選手との信頼関係、緊張を和らげる温かい言葉
高橋さんは選手たちからも信頼され、坂本花織選手は「かおちゃん」と呼んで気にかけてきました。競技の合間に「昨日は何食べたの?」「今日、調子良さそうだね」と、緊張を和らげるような言葉をかけると、坂本選手はニコッとほほえみ、「頑張ります!」と返してくれたそうです。
スケート界の未来を願い、日本での冬季五輪開催を期待
ミラノ・コルティナ冬季五輪は自宅のテレビで観戦し、銀メダルを得た坂本選手ら日本勢の活躍に心躍らせた高橋さん。坂本選手の現役最後の舞台も日本で観戦する予定です。スケート界を長く見てきたからこそ、「スケートが盛り上がって、また日本で冬季五輪が開かれたら」と切に願っています。職人の情熱が、選手たちの輝きを支え続けています。



