今野照夫さんの震災日記(3月17日)によると、北上地域のまちづくり委員を務める佐藤尚美さんが災害対策支部を訪れ、手伝えることはないかと申し出た。
佐藤さんの夫・一栄さん(当時37歳)は建設会社社員で地元の消防団員だった。地震で壊れた海岸の水門を閉めていた老人に「いいから逃げろ。あとは俺が閉めるから」と言って作業を代わり、車で通りかかった人が「もう逃げた方がいい」と声をかけた際には手を上げて応えたという。直後に津波にのまれて行方不明となり、白浜の自宅も流され、佐藤さんと小中学生の子ども3人が残された。
今野さんは北上総合支所の地域振興課でまちづくり委員会も所管しており、佐藤さんとは顔見知り程度だった。一栄さんが犠牲になったことは、避難所にいた一栄さんの母から聞いていた。
「取り戻してみせる」と宣言
地震発生から6日。がれきだらけの被災地で毎日を乗り切るのに誰もが無我夢中だった時期に、佐藤さんは涙ひとつこぼさず「取り戻してみせる」と未来に向かって宣言した。その言葉は今野さんにとって強烈だった。
佐藤さん自身はその発言を覚えていない。当時は何もかも現実味がなく、感情に蓋をされたような状態で、夫がいないこともまだ実感できなかったという。このときの今野さんの顔色が悪く、唇が紫色だったことだけは記憶にあり、津波で漂流したことを後日知って合点がいった。「夫の死の実感が湧くには1年くらいかかった気がする」と佐藤さんは語る。
復興まちづくりのキーパーソンに
その後、佐藤さんは住民団体「ウィーアーワン北上」を立ち上げ、地域のマーケット運営や子どもの学習支援、高台集団移転の意見集約など、復興まちづくりのキーパーソンの一人となった。ひと回り年上の今野さんとは、北上の将来を本音で語り合える盟友のような関係を築いた。
職員への苦言と反省
今野さんの日記には、同僚職員への苦言もしばしば登場する。このときは職員が仕事中に被災した自宅を見に行ったり、家族と連絡を取ったりしたようで、今野さんは言葉遣いの強さから怒り心頭だったことがわかる。本人らには直接言わなかったが、いらだちが周囲に伝わり、職場が一時ピリピリした空気になった。
しかし今振り返ると、当時の自身の考え方は間違っていたと今野さんは思っている。被災した家や家族の生活が気がかりなのは当然で、業務に集中するためにも、まずは十分な時間をとって各自の心配事を解消してから職場に戻ってきてもらうべきだったし、そのようなことを遠慮なく言い合える風通しのよさを組織として持たなくてはならなかったと反省を口にする。
連載「今野照夫さんの震災日記」は宮城版のシリーズで、過去回は読売新聞オンラインで読める。



