熊本地震・イオンモール熊本爆発 安否不明の妻を思い「覚悟しておいた方が」と男性が声絞り出す、日本製紙八代工場でも捜索
熊本地震・イオンモール熊本爆発 妻の安否気遣う男性「覚悟しておいた方が」

最大震度7の地震から一夜明けた29日、熊本県嘉島町のイオンモール熊本や八代市の日本製紙八代工場で、消防や警察による捜索・救出活動が続けられた。複数の死者が出ている。

イオンモール熊本での爆発

イオンの吉田昭夫社長はこの日夕、熊本市内で記者会見を開き、「尊い命を失われた方がおられる。ざんきの念に堪えません。深く深くおわび申し上げます」と述べた。吉田社長と、施設を運営するイオンモールの大野恵司社長の説明によると、爆発時には少なくとも8人のテナント従業員がいた。うち3人の死亡が確認され、1人が心肺停止となっている。ほかに1人が負傷し、残る3人の行方はわかっていないという。吉田社長は「一刻も早く救助されることを心より願っている」と述べた。

地震発生時、およそ200店が入る館内には、約3000人の客に加え、施設と店舗の従業員ら計約1300~1500人がいたという。従業員たちが約30分をかけて客を避難させたが、吉田社長は従業員の一部が「施設に戻った、あるいは残っていた人がいた」と説明。亡くなった従業員について、「人命を失うことの重さを痛切に感じている」と語った。

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爆発の爪痕が生々しく残る施設の周辺には、安否不明者と近しい人たちが次々に集まり、捜索作業を見守った。熊本市の男性(39)は、妻が2階のアパレル店に勤めていたという。地震発生直後、妻から「そっちは大丈夫?」と連絡があったものの、その後は音信が途絶えたという。男性は「連絡がつかなくなって時間がたっている。覚悟をしておいた方がいいのかもしれない」と声を絞り出した。目に涙を浮かべて警察官と話し込む女性や、「心の整理ができていない」と言葉少なに語る男性の姿もあった。

施設から500メートルほど離れた所に住む配送業の男性(39)は、「事故後は家の周りもガス臭かった。爆発がこちら側だったら、我が家も吹き飛んでいたと思う。よく利用していた施設がこんなことになるなんて」とぼうぜんとした様子だった。バスで近くを通った際に爆発を目撃したという熊本市の女子高校生(16)は「『ボッ』と光った後、交通事故に遭ったような衝撃を受けた」と振り返った。辺り一面は粉じんで真っ白になり、施設の駐車場では逃げてきた親子らがしゃがみ込んだ。泣き声も響き渡ったという。

日本製紙八代工場での捜索

5人の死亡が確認された日本製紙の八代工場では、4人の行方がわかっていない。現場にはコンクリート片や鉄片、折れたパイプが散乱し、消防隊員ががれきの除去作業を続けた。救助活動にあたった隊員によると、折れた煙突の真下には安否不明者がいるとみられるが、がれきも多く、大型重機を投入しにくいため、シャベルや削岩機を使って捜索しているという。この隊員は「再び地震があれば、作業を中断せざるを得ない危険な状況。難しい作業だ」と汗を拭った。別の隊員は「早く全員を見つけたい」と表情を引き締めていた。

工場の近くで食料品店を営む男性(71)は「日本製紙は八代の基幹産業の一つ。子どもの頃から煙突を見ているが、まさかあの立派な煙突が折れるとは思わなかった」と話していた。日本製紙によると、八代工場は1924年、同社の前身の一つ「九州製紙」の本社工場として操業を開始。同社では九州唯一の工場で、敷地面積は東京ドーム約7個分の約33万平方メートル、約400人の従業員が働く。2016年の熊本地震でも被災し、一時稼働を停止していた。

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宇城市での被害

震度7を記録した宇城市松橋町では、杉浦臣夫さん(72)が家屋の下敷きとなり、意識がない状態で見つかった。一緒に暮らしていた弟(67)によると、28日夕に帰宅した時には家屋はすでに倒壊していたという。杉浦さんは脳梗塞の影響で歩くのが困難だったといい、「毎日一緒だったのに」と立ち尽くした。