中大・駿河台キャンパスの過密事情と学生の不満、雀荘や喫茶店に逃れた青春
中大駿河台キャンパスの過密と学生の逃避行

中央大学の駿河台キャンパスは、かつて「駿河台記念館」として卒業生の交流の場だった場所だが、学生からは不評の声が相次いでいた。教室は定員を大幅に超え、図書館では朝7時から席取りのために行列ができる有様だった。

定員超過の背景

当時、中央大学だけでなく多くの私立大学が定員超過に陥っていた。1950年代から東京の大学進学者数が増加し、大学の大衆化が進んだ。私立大学は授業料収入に依存しており、国からの補助金が本格化する1970年以前は、学生数がそのまま収入につながった。教育環境の悪化を承知で、多くの学生を受け入れることが生存戦略だったのだ。

学生の逃避行

過密な環境に嫌気が差した学生たちは、キャンパスを離れて雀荘や喫茶店に足を運んだ。駿河台周辺には雀荘が約10軒、大学から5分以内の場所に106軒もの喫茶店があり、サボり学生にとって楽園のような街だった。中には朝から晩まで名画座で映画を見る者もいた。

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しかし、そんな駿河台の街も、やがて学生運動の時代を迎え、校舎封鎖やストライキが発生するなど、激しい闘争の舞台へと変わっていく。

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