授業準備も夜にやった。帰宅は22時から23時。部屋の掃除をする余裕もなく、時間外勤務を数えると月150時間ほどになった。
それでも部活にのめり込んだのは、生徒への指導の結果が見えやすかったからだ。技術や戦術を伝えると、生徒たちは目に見えて変わっていった。
「初任校では、赴任間もない大会で3年生が初めて入賞したんです。『先生、初めて賞状が取れました』と泣いて喜んでくれて、私もうれしかった。もっと頑張ろうと思いました」
2校目では当初、違う部活の顧問だったが、前任校での実績を知る教員の働きかけで、翌年からソフトテニス部を任された。その後、チームは県大会、ブロック大会出場へと結果を伸ばし、ついに全中出場を果たした。
「自分のソフトテニス部でのキャリアは、ずっと上がり続けていった感覚がありました。24時間、勝つことだけを考えている。生活のベースが全部そこにあるような感じでした。今思えば、本当に命をかけてやっていたと思います」
10年ぶりの教え子との再会で言われた言葉
全中に出場した学年は10人ほどのチームだった。夏休みは朝5時から自主練が始まり、午前練習、昼の休憩と勉強を挟み、午後も17時まで練習した。
「エリート街道とは全く違う、泥くさいチームでした。勝てるはずの試合を落とし続け、一番うまい選手が『もうこんなチームではやっていけない』と一時期練習に来なくなり、メンバーで話し合う場面もありました。必殺技があるわけではなく、ただ耐え続ける。防御力だけがやたらと高いチームでしたね」
【妻の両親に呼び出され「働き方改革」に着手】
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