「不登校が問題にされていますが、根本的な問題として『学校がつまらなくなっているからだろう』と、私は考えています」。そう語る堂腰氏は、その上で「子どもにとって学校はどういう場所であるかを見直してみるべきです」と続けた。
幼保から小学校への接続をスムーズにする「スタートカリキュラム」では、教員が鬼ごっこを強制するわけではない。子どもたちがどんな遊びをしてきて、どんなことに興味を持っているか、教員は事前に情報を集めている。そのために、「入学前に幼稚園や保育園にでかけて聞き取りを行っている」(堂腰氏)という。
だが、「鬼ごっこをよくやっていたらしい」となっても、「鬼ごっこをやりましょう」となるわけではない。入学後に子どもたちと「何をやりたいか」を話し合う中で決めていくのだが、幼稚園や保育園で経験していないことをやろう、ということにはならない。
教員の指導力が試される「子ども中心」のスタイル
教員としては、それを想定して「何を学びたいか、何に気づかせたいか」という計画を立てることが可能になる。それ以外に「学び」が広がることもあるが、それも受容しながら、教員は子どもたちの「学び」を評価し、それを気づかせていく。それが、さらなる「学び」につながっていく。まさに教員の指導力が試される場でもある。
今年を見ても、鬼ごっこを主体にするクラスもあれば、学校で「春さがし」に夢中になるクラス、特別な鯉のぼりを手づくりしているクラスもある。大事にされているのは「子どもが何をやりたいか」であり、あくまでも「子ども中心」なのだ。「この時間は算数のこれを教えるから先生のほうを向きなさい」といった、教員中心のスタイルではない。
子ども中心だから、子どもたちは学校に行くのが楽しみになる。学校に行きたくない、とはならない。
「生活と学びを自分自身でつくる」教育への転換
堂腰氏は、とくに新型コロナ禍での休校で、学校に行かなくてもいいし、勉強もできることに子どもたちは気づいたと指摘する。そして「学校に行けば、我慢しなければいけないことばかりで、つまらないと子どもたちは感じてしまっている」と話す。
そこで堂腰氏が見つけた答えが、「生活と学びを自分自身でつくっていく子どもを育てる」ことだった。「自分で考え、自分で判断し、表現する力」の育成は、学習指導要領でも強調されている。
しかし多くの学校現場で行われているのは、45分間の授業時間にジッと座っていることを強いることだ。やることも大人が決めてしまって、子どもたちをひたすら我慢させている。当然ながら、子どもたちにしてみれば「つまらない」のだ。



