耳が聞こえない両親のもとに聞こえる子どもとして生まれ育った尾中友哉さん(37)は、家では手話、学校では声での会話という異なるコミュニケーションを経験してきました。現在は、聴覚障害の子どもの学習支援などを手がける認定NPO法人「サイレントボイス」(大阪市中央区)の代表として、聞こえない人と聞こえる人がともに活躍できる社会を目指しています。
最初に覚えたのは手話、声での会話に苦労
最初に覚えたのは、両親とコミュニケーションがとれる手話でした。その分、声での会話には慣れるのが遅く、3歳の頃、祖母に「魚を取って」と声を掛けられましたが、意味がわかりませんでした。子ども同士でサッカーをする際、みんなが作戦を話し合う内容がうまく理解できず、輪に入れなくて泣いたこともありました。祖母は私を自宅近くの歩道橋に連れて行き、そこから目に入るものの名前を一つずつ教えてくれました。
遠足で山に行った際、友だちとキイチゴを食べたことがうれしくて、両親に喜びを伝えたくても、今度は「キイチゴ」を表現する手話がわからず泣きました。ただ、そんな時、両親はいたって前向きで、「それならみんなで遠足に行ったらええやん」。父の思いつきから家族で山に登り、キイチゴを見つけて「これだよ」と伝えることができたのです。
広告会社を辞め、手話に関わる仕事へ
小学生になると声での会話も使いこなせるようになり、家族内で会話を手話に変換する「通訳係」を務めるようになりました。大学卒業後、広告会社に就職して東京で働いていましたが、だんだんと仕事に打ち込めなくなり、「手話に関わる仕事がしたい」と会社を辞めました。
頭をよぎったのは、両親の姿でした。家電メーカーの工場で働いていた父は、聞こえる同僚から呼ばれる際、ネジを投げつけられていました。私は高校生の頃、そうした状況を知り、聞こえるか聞こえないかで差をつけられる状況に疑問を抱きました。聞こえない人たちは「助けられる側」として低く見られがちです。喫茶店を経営していた母は、聞こえない分、お客さんの表情をよく見て気配りをしていました。
聞こえる人と聞こえない人が共に活躍する社会へ
聞こえる人と聞こえない人が協働して高い価値を生み出せるようにする仕事がしたい――そんな思いから、2014年にサイレントボイスを創設しました。サイレントボイスでは、聞こえない子どもに学びの場を提供したり、聞こえる人と聞こえない人が一緒に働く企業を支援したりしています。約20人のスタッフの半数はろう者や難聴者。手話はもちろん、ホワイトボードや音声を文字に変換するソフトなどを使ってコミュニケーションをとっています。
現在は、対話型のオンライン授業にも力を注ぎ、遠くに住む子どもたちともつながれるようにしています。聴覚に障害がある子どもたちは、学校や社会で孤立し、「自分はできない子」と感じる傾向が強いです。普段の学校でひとりぼっちでも、似た環境にいるほかの子どもとつながることができれば前向きな気持ちが生まれ、自己実現の願望が高まります。一人でも多くの子どもたちを支援し、彼らが自分らしく力を発揮できるような社会をつくっていきたいです。



