熊本地震の発生から2週間が経過したが、避難所に入らず、慣れ親しんだ自宅近くに留まり続ける被災者がいる。震度7を観測した熊本県氷川町の上豊優征さん(33)は、自宅が一部崩壊し、同居する母の君代さん(67)と物置で暮らしている。急ごしらえの6畳ほどの空間での親子2人の生活は、酷暑と余震への不安で、気力も体力も限界に近づいている。
物置での生活の実態
ブルーシートが張られた物置内には、自宅から持ち出したベッドや衣類が所狭しと置かれている。「早く仮設住宅に移りたい」と優征さんはぽつりと漏らした。
約3年前に父が亡くなり、君代さんと2人暮らし。県内の企業に勤めるが、7月28日の地震発生時は福島県に出張中だった。熊本市内の職場にいた君代さんの無事を確認し、翌日帰宅した。目に飛び込んできたのは、家族との思い出が詰まった自宅の変わり果てた姿だった。ゆがんだ瓦屋根、くの字に折れ曲がった雨どい。木材が散乱し、仏壇や神棚も押しつぶされており、「笑うしかなかった。悲しいと感じる気力もなかった」と振り返る。
避難所を選ばなかった理由
10年前の地震では、自宅は倒壊を免れたが、安心して住める状況ではなく避難所に身を寄せた。しかし、避難所の環境になじめなかった記憶が強く、今回は慣れ親しんだ自宅のそばで暮らすことを決めた。
発生後、5日間ほどは電気や水が通らない中、庭に簡易テントを張った。暑さや余震、蚊にも悩まされ、「寝てはすぐに目を覚ます日々だった」と振り返る。
電気復旧後の生活
電気が復旧してからは、農機具などが置いてある物置で生活することに。自宅から持ち出したエアコンを設置し、空調が効きやすいように6畳ほどの生活スペースをブルーシートで区切った。母親を狭いベッドに寝かせ、自分は床で眠る。水や食料は知人に提供してもらうなどし、夜は親族宅で入浴。トイレの際は近くの小学校まで車を走らせている。
そんな生活も2週間近くになる。家のがれきを目にするたびに「気がめいってくる」と優征さん。君代さんも「見るも難儀。早く片付けて更地にしたい」という。天候の悪化や余震で被害が拡大しないか、気が休まるときはない。
仮設住宅への移行のめど
氷川町では今月7日から罹災証明書の交付に向けた全棟調査が始まったが、被災者がいつ仮設住宅に移り住めるのか、めどは立っていない。10年前の地震からの復興途上での震災。優征さんは「もう大きな地震はこりごりだ」と話し、君代さんも「こんな試練はやめてほしい。何とか明るくたくましく生きようと思っているけれど…」とため息をついた。



