ラピュタの島・友ヶ島、リゾート地から廃墟へ、そして再び人気に
ラピュタの島・友ヶ島、リゾート地から廃墟へ、再び人気に

「ラピュタの島」として知られる友ヶ島は、実はかつてリゾート地だった時代がある。しかし、バブル崩壊後は衰退し、2002年には南海電鉄が観光事業から撤退。その後、ブログやSNSで話題となり、再び人気を集めている。

リゾート地としての繁栄と衰退

友ヶ島は国立公園に指定されていたこともあり、大規模な開発ができず、時代の勢いから取り残されていった。新しい施設ができればトレンドを追う消費者は別の場所へ旅する。すると観光客も減る。当時の南海電鉄の焦りを想像するだけで、胃がキリキリと痛む。

バブル崩壊後の1990年代後半、レジャー等としての友ヶ島はさらに衰退への道をたどることになる。

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観光客の激減と南海電鉄の撤退

2000年9月28日付の読売新聞によると、1999年度の年間入島客数はピーク時の4分の1以下となる約2万5000人までに激減。観光事業の赤字は約1億3000万円に膨らんでいたという。

当時、南海電鉄は和歌山市へ年間664万円の観光地利用納付金を市に支払うとともに、島内でキャンプ場やバンガローを直営していた。和歌山の加太港や大阪の深日港からの定期便を運航し、夏場のピーク時には9往復運航していた。

さらに、集客イベントの実施や施設の改修など挽回を図っていたものの、客足の減少に歯止めがかからない状況が続いていた。リストラもやむなく、和歌山県にフェリーの撤退を申し入れるまでに至った。

友ヶ島汽船の設立と再生

そして2002年、南海電鉄は友ヶ島における観光事業から撤退。定期船の運航事業は、和歌山市内の民間事業者に引き継がれた。しかし、その事業者もほどなくして廃業することとなり、2006年12月、地元の加太漁業協同組合が出資して「友ヶ島汽船株式会社」を設立。同社が定期船の運航を引き継ぎ、現在も島への唯一の交通手段として観光客の足を支えている。

漁業協同組合が法人を設立して友ヶ島汽船としてフェリー事業を引き継ぐだなんて、地元を盛り上げていきたいという思いがあるからこそ。

SNSで再び注目を集める

そして再び友ヶ島に注目が集まる。2008年半ば頃、どのプラットフォームかは定かではないが、ブログやSNSでアップされた写真がきっかけだったようだ。

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