日本航空(JAL)のジャンボ機が墜落し、乗客・乗員520人が犠牲になった事故は、12日で発生から41年を迎えた。お盆前で家族連れが搭乗していた一方、大手企業の経営幹部ら多くの企業人も犠牲となり、経済界にも影響を与えた。
事故の概要と企業人の犠牲
事故は1985年8月12日に発生。羽田発大阪行きのJAL123便が午後6時56分、群馬県の「御巣鷹の尾根」(上野村)に墜落した。乗客・乗員524人のうち520人が死亡し、単独機による死者数としては今も世界最悪の事故となっている。
事故では経営幹部や管理職を含む多くの企業人が犠牲となった。阪神タイガースの4代目球団社長だった中埜肇さん(当時63)は、東京の運輸省(現国土交通省)への出張の帰りに事故に巻き込まれた。この年、阪神タイガースは21年ぶりのセ・リーグ優勝を果たし、ウィニングボールが中埜さんの祭壇に供えられた。
ハウス食品や松下電器の被害
ハウス食品工業(現・ハウス食品グループ本社)の2代目社長だった浦上郁夫さん(当時47)も搭乗していた。主力商品「バーモントカレー」の名付け親で、長男の博史さんは現在、同社の代表取締役社長を務めている。
松下電器産業(現・パナソニックホールディングス)は系列会社の幹部らを含めて犠牲者が17人に上り、システムエンジニアリング部の部長らを失った。三井住友銀行の前身となる住友銀行でチーフ・エコノミストを務めた木田一男調査第1部長(当時47)も犠牲となった。
41回目の命日、慰霊行事
41回目の命日となる12日の午前も、墜落現場で遺族らが祈りを捧げる。JALの鳥取三津子社長も慰霊登山に訪れる。夜にはふもとの「慰霊の園」で追悼式典があり、墜落時刻の午後6時56分に黙禱が捧げられる。



