兵庫県明石市で2001年7月、市主催の花火大会で11人が犠牲となった歩道橋事故は21日、発生から25年を迎えた。長女の千晴さん(当時9歳)と長男の大君(同7歳)を亡くした有馬正春さん(67)は今も、事故前月の「父の日」に2人から贈られた小物入れを大切に使っている。中身は運転免許証から病院の診察券に変わったが、思い出は色あせない。
事故当日の記憶
事故の約1週間前、大君から「大蔵海岸で花火大会があるねんて」と声をかけられた有馬さん。約束をせがまれるのを避け「ふーん」とだけ返した。当日になって「行こか」と誘うと、子どもたちは大喜びした。
7月21日午後7時35分頃、JR朝霧駅に妻の友起子さん(56)を含む4人で降りた。歩道橋の中間あたりで満員電車のような圧力が強まり、人波に押されて千晴さんと大君の姿が見えなくなった。2人は群衆雪崩に巻き込まれ、亡くなった。
有馬さんは「助けられなかった。あの光景を忘れることはない」と悔やみ続けている。
仲の良かったきょうだいと父の日の贈り物
千晴さんと大君は仲の良いきょうだいだった。夏には一緒にセミ捕りに出かけ、休みの日には3人で風呂に入った。事故前月の父の日、千晴さんから薄ピンク色のフェルトを縫い合わせた小物入れを、大君からは緑色のティッシュ入れをもらった。千晴さんは小学校の手芸クラブで作り方を覚えたばかりで、「きっと千晴が手ほどきして、大も作ったんだと思います」と有馬さんは語る。
2人から初めてのプレゼント。事故後、有馬さんは千晴さんの小物入れに運転免許証をしまい、大君のティッシュ入れとともに「宝物として一生大切に使う」と誓った。会社員時代は通勤用のアタッシェケース、飲食店を始めてからは黒いバッグに入れ、肌身離さず持ち歩いた。
遺族としての闘いと現在
有馬さんは他の遺族とともに県警や市、警備会社に対する損害賠償訴訟を起こし、不起訴となった明石署元副署長の責任追及を続けた。2012年1月、業務上過失致死傷罪で強制起訴された元副署長の初公判では、量刑意見を求められて法廷に立つ前に2人からの贈り物を手に「頑張らねば」と言い聞かせた。
翌年2月、神戸地裁は起訴時点で公訴時効が成立しているとして「免訴」の判決。2016年7月に最高裁が上告を棄却し、免訴が確定した。遺族有志らで2022年に書籍「明石歩道橋事故 再発防止を願って」を出版。各遺族や弁護士らの原稿を取りまとめ、裁判記録や新聞記事をもとに真相解明を求めた記録をつづった。「事故に関しては、もう特にすることもなくなりました」と語る。
今春、運転免許証を返納した有馬さん。千晴さんの小物入れには高血圧の通院に使う診察券を入れている。大君のティッシュ入れには当時のポケットティッシュが入ったままだ。2人を思う気持ちと同じく、色あせることはない。
有馬さんは「この事故は永遠に未解決。二度と事故を起こさないよう、風化させてはいけない」と話す。「セミの音が聞こえるとね、思い出すんです。ベランダで見つけた時には『帰ってきたの?』って」。今年もまた、セミがかまびすしい季節が来た。



