雫石事故55年、162人犠牲に献花 遺族「語り継ぐ」誓う
雫石事故55年 162人犠牲に献花 遺族誓う

雫石町上空で1971年、全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が衝突し、全日空機の乗員・乗客162人全員が亡くなった事故は、30日で発生から55年となった。墜落現場の「森のしずく公園」(同町西安庭)では、献花・拝礼式が営まれた。

この日は雨が降る中、遺族をはじめ、全日空や空自松島基地などの関係者約180人が花を手向け、黙とうをささげた。猿子恵久町長は「162人の犠牲者に報いるためにも、空の安全を願いながら交流を続けたい」とあいさつ。全日空の平沢寿一社長は「決して忘れてはいけない一日だ」と述べ、安全への誓いを新たにした。

事故の概要と経緯

事故は71年7月30日に発生。千歳発羽田行きの全日空ボーイング727型機と、訓練飛行中の空自F86F戦闘機が空中で衝突した。旅客機は空中分解して墜落し、乗客155人と乗員7人の計162人全員が死亡。うち125人は慰安旅行から帰る静岡県富士市の団体客だった。

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事故を契機に航空事故の原因究明体制が見直され、74年には航空事故調査委員会(現運輸安全委員会)が発足した。

遺族の思い「弟の分まで生きる」

この日の式典には、弟の文隆さん(当時25歳)を亡くした同市の小山和夫さん(83)が参列した。文隆さんは東京で写真を学び、雑誌記者やカメラマンとして活躍していた。「いつかカラー写真の現像所を開こう」。実家に帰ってくるたびに兄弟で夢を語り合った。

事故後、小山さんは「弟の分まで生きてやろう」と心に決めた。事故が家族の人生まで変えることを実感したといい、「事故を二度と起こさないため、語り継いでいかなければならない」と力を込めた。

風化防ぐ交流事業

航空事故で多くの市民が犠牲になった静岡県富士市と雫石町は、事故の風化を防ごうと、2004年から慰霊を通じた子どもたちの交流事業を行っている。

事業は両市町で毎年交互に開催。今年は同市の小学生30人が3泊4日の日程で来県した。29日は町内の小学生30人とともに小岩井農場を訪問し、昼食を食べるなどして親睦を深めた。

昼食のメニューには、市特産のシラスと農場の牛乳を使用した「しらすのチャウダー」が並んだ。事故で親類が犠牲になり、今回初めて参加したという市立大淵第一小6年の男子児童(11)は「岩手の牛乳はおいしく、シラスもたっぷり入っていて、一皿で両方の地域を感じられた」と語った。

両市町の児童らは同日に牛舎の見学やバター作りも体験し、30日は森のしずく公園で開催された式典に参列した。

昨年に続き参加した町立雫石小6年の男子児童(11)は「事故について自衛隊員の父から、決して忘れてはいけないことだと聞いていた。この交流を通して自分もしっかりと勉強し、風化させないよう伝えていきたい」と表情を引き締めた。

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