鹿児島県伊佐市にある曽木発電所遺構が、再び注目を集めている。ダム湖の底に沈んだ巨大な廃墟は、夏になると湖底から姿を現すことから「まるでラピュタのようだ」と評されることもある。かつて日本一の発電量を誇った発電所は、なぜ水没し、そして再び脚光を浴びるようになったのか。その歴史と現在の様子を、たびたび遺構を訪れている筆者の写真とともに紹介する。
曽木発電所遺構の歴史
曽木発電所が建設されたのは、曽木の滝の圧倒的な水量と落差が発電に適していたためだ。周辺には鉱山があり、採掘で出た水を排水するための電気需要もあった。創設者は野口遵氏で、この水利を利用した電気事業を計画した。
最初に建てられたのは曽木第一発電所で、1907年に完成。初めて大口市(現・伊佐市)に電灯が灯った。その後、1909年には1.5キロ下流に第二発電所が建設された。これが現在、遺構として残っているものである。折しも同年、第一発電所は洪水で破損したのを機に閉鎖された。第一発電所の稼働はわずか3年と短く、創業時の様子を伝える写真は今のところ見つかっていない。発電所の全容や使われていた機械などは謎のままである。
日本一の発電量とカーバイト工場
第一発電所の出力は800キロワット。その後、1909年に完成した第二発電所は最大6700キロワットと、当時国内でも最大級の規模だった。発電量は当時日本随一で、周辺鉱山の動力源や近隣町村の電灯需要を満たしてもまだ余りがあった。余剰電力の消化を図るため、熊本県葦北郡水俣村に日本最初のカーバイト工場の建設が計画された。発電所から30キロほど離れた水俣村(現在の水俣市)に工場がつくられ、ここで生まれた電気が送られるようになった。
再注目されたきっかけ
曽木発電所遺構が再び注目されるようになった背景には、ダム湖に沈んだ幻想的な景観がSNSなどで話題になったことがある。夏になると水位が下がり、湖底から巨大な廃墟が姿を現す。その様子が「まるでラピュタ」と評され、多くの人が訪れるようになった。
遺構の石積みやそこに生い茂る植物は印象的で、わずかな隙間に入った土からも植物が芽吹いている。暗い導水路跡を歩くこともでき、トンネルで記念撮影をする人も多い。最近発見された写真には、第一発電所の電気を送電していた電柱が写っており、1907~1909年のものと推定されている。
曽木発電所遺構は、かつての日本の産業遺産として、そして水没した幻の構造物として、今後も多くの人々の関心を集め続けるだろう。



