栄養を取らせねば 「国策雑誌」も料理家も奮闘した戦時下の食事
栄養を取らせねば 戦時下の食事、国策雑誌も料理家も奮闘

食糧不足だった戦時下や戦後、日々の食事は社会の大きな関心事でした。あの頃、食をめぐりどんなことが起きていたのか。政府や専門家らの動きを、当時の朝日新聞の記事とともに振り返ります。

「国民食」の登場と栄養基準の制定

戦時下の食糧不足を背景に広まったものの一つに、「国民食」がある。大きなきっかけは1940年から食糧報国連盟が制定を進めた「国民食栄養基準」。中等度の労働をする成年期の男性なら、1日あたり「2400カロリー、たんぱく80グラム」などと掲げられた。

これ以降、「国民食」は栄養と強く結びつけられ、「適正な食」として使われるようになる。

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「我慢」も「栄養がある」と意味づけされる

戦争が激化する1943年に…

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