戦後81年、軍都東京の記憶を歩く 戸山で見た「斑」の風景
戦後81年、軍都東京の記憶を歩く 戸山の「斑」

連載「この<まち>の下の記憶」第48回。戦後80年を超え、編集委員の清水美明が軍都・戸山を散策。旧近衛騎兵連隊兵舎が現役の教室として使われる学習院キャンパスや、鉛汚染が残る射撃場跡を訪ね、まちの下に眠る記憶の不均質さを考察する。

軍都東京の記憶をたどる散策

編集委員の清水美明は、戦後81年を迎えたこの夏、社会学者の清水亮さん(慶応大講師)と共に、東京・戸山の軍用地を歩いた。清水亮さんは、新著『軍都を歩く 基地と住民の地域生活史』(中公新書)で戸山を一章に取り上げており、その散策が実現した。

最初に訪れたのは、学習院戸山キャンパス。ここは戦後、女子学習院が移転した場所で、旧近衛騎兵連隊兵舎(4B館)が現役の実習室・研究室として使われている。兵舎の内部には、当時の名残と改修の工夫が随所に見られる。また、平屋の炊事場(C館)も同窓会施設として現役だ。キャンパス全体はレンガ調の建材で統一され、優美な景観を保っている。

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射撃場跡に残る鉛汚染

キャンパスを出た後、明治通りを渡り、1928年に建設された屋内射撃場の跡地へ向かった。全長300メートルの鉄筋コンクリート製トンネル状構造物が7棟連なり、東端から西側に向けて射撃が行われていた。現在は都立戸山公園や早稲田大学の西早稲田キャンパスになっている。

東京都が2年前に実施した土壌調査では、基準値を超える鉛や水銀が検出され、一部区域は今も立ち入りが制限されている。戦後占領期の米軍空撮写真と照合すると、その区域は射撃場の西端周辺と重なる。終戦までの17年間、殺傷訓練で発射された鉛入りの弾丸が、約80年にわたって土中に残っていたとみられる。

戸山学校跡と箱根山

Uターンするように戸山公園を抜け、再び明治通りを横断して、軍用地・戸山の起点である戸山学校跡地へ向かった。将校集会所の遺構を土台にした教会を見学し、尾張徳川家の下屋敷に築かれた標高44.6メートルの箱根山に登った。8の字を描くように軍用地を歩き終えた二人は、ビールを飲むことで意見が一致した。

この散策を通じて、清水美明は、軍用地が学校や公園として公共空間化されることで、再開発の対象から外れ、過去がなお呼吸できる「斑」のような場所が生まれることに気づかされた。それは、単に痕跡を残すだけでなく、軍事施設が日常に組み込まれていた過去をどう理解すべきか、という問いを突きつけるものだという。

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