被爆者の声を次世代へ、18歳と75歳の証言活動
被爆者の声を次世代へ、18歳と75歳の証言活動

被爆者の体験や思いを次世代に伝えようと、新潟県上越市出身の18歳の女性が大学入学を半年遅らせて広島に移り住み、被爆者ら50人以上の声をノートに書き留めている。一方、東京都の被爆者団体「東友会」の事務局長を務める75歳の女性は、40年以上にわたり被爆者に寄り添い続け、その経験を証言活動に生かしている。

「学び直そう」と広島へ、18歳の決意

中野葵花さん(18)は、愛用の青ペンで被爆者らの言葉を丁寧に書き留めている。「一人でも多く、一回でも多く話を聞いて、体験や思いを吸収していかないと」と話す。

中野さんが戦争や平和について考え始めたのは中学生の時。沖縄への修学旅行がコロナ禍で中止となり、オンライン授業で元ひめゆり学徒隊の女性の体験を聞いた。「沖縄を生で見てほしい。ここでしか知ることのできないものがあるから」と訴えられたが、その女性は高校入学後に亡くなっていた。戦争経験者の話を直接聞ける時間が限られていると実感し、「もたもたしていたらいけない。すぐに行動に移さなくては」と決意した。

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高校1年の夏には「広島・長崎派遣平和大使」として広島での平和記念式典に参加。交流した広島の高校生たちが被爆者の親族の壮絶な体験を力強く語る姿に圧倒され、「教科書程度の知識しかない自分が情けなく、私なんかが来るべきじゃなかったのかも」と感じた。しかし、高2の秋から約1年間フランスに留学し、級友に核保有の是非を尋ねると「国を守るためには絶対に必要」と答えが返ってきた。自身の「常識」が世界では通用しない現実を知り、「説得力を持って世界中の人に意見を伝えるためには、まずは自分が被爆地で学び直そう」と決意した。

伝承者から学び、決意を新たに

広島では、被爆体験のない人が被爆者の代わりに証言活動を行う「伝承者」を育成している。中野さんは自身と重ね合わせ、伝承者の話を聞くことも大切にしている。7月半ばには広島平和記念資料館で、被爆者のおばの体験を語る平岡佐知子さん(71)の英語での講話を聞き、終了後には表現の仕方などを熱心に質問した。平岡さんは「私の講話の内容を、さらに広く伝えていってくれる若い人の存在は励みになる」と話す。

中野さんは8月下旬まで広島で過ごし、9月から国際教養大(秋田市)で戦争や国際問題を学ぶ。「私にできることに人生をかけて最善をつくしていきたい」とノートに記した決意を実践する機会にするつもりだ。

40年寄り添い続けた相談員の証言

東京都の被爆者団体「東友会」の事務局長を務める村田未知子さん(75)は、7月中旬に都内の教職員らを対象に講話し、「私の人生の6割が、被爆者と一緒に生きた人生。学び、寄り添い、支え合い、生きてきた」と語った。村田さんは生まれも育ちも東京で、被爆者との血縁関係はない。高校卒業後、病院の事務職として働き、31歳の時、知人の被爆者から誘われて東友会で活動を始めた。

原爆で家族を失った人、差別や偏見を恐れて被爆を隠し続ける人、後遺症に苦しみ精神を病んだ人――。様々な被爆者から電話がかかってきた。被爆者健康手帳の取得や手当の申請などの相談に加え、愚痴や身の上話も聞いた。広島で被爆した織田アヤさん(1999年に79歳で死去)もその一人で、女手一つで育ててくれた母を原爆で失い、婚約者はビルマ(現ミャンマー)で戦死した。晩年、施設で村田さん宛ての遺書を書き、「私のお骨をひとりぼっちにしないでね。もう一人は嫌だから」と託した。

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身寄りのない被爆者の遺骨を納めようと、東友会は2005年、東京都内の霊園に「原爆被害者の墓」を建てた。一度は無縁塚に納められた織田さんの遺骨も改葬された。村田さんは墓前で「織田さんたちを苦しめ続けた核兵器をなくす」と誓った。2018年からは相談員の立場で証言活動を始め、年40回ほど被爆者から聞いた悩みを語る。「戦争に巻き込まれることがないように、被爆者がいなくなった後も伝え続けなければいけない」と話す。