1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機墜落事故で、当時の阪神タイガース球団社長・中埜肇さん(享年63)が犠牲となった。遺品には虎のネクタイピンが残されていた。事故から41年、次男の克さん(75)が当時を振り返る。
事故当日、東京出張から帰途に
肇さんは事故当日、運輸省(現国土交通省)で開かれた日本民営鉄道協会の会議に出席するため東京に出張していた。阪神電鉄の常務とともに羽田空港から兵庫へ帰る途中、事故機に搭乗していた。
事故前年の1984年秋からは阪神タイガースの球団社長を兼務。戦時中は海軍の将校で、大学で土木工学を学んだ経験から1947年に阪神電鉄へ入社。鉄道設備の安全などに関わり、4代目球団社長に抜擢された。
家族が待った遺体安置所
事故の知らせを聞いた克さんは翌13日から羽田空港へ向かい、JALの用意したバスで墜落現場がある群馬県へ向かった。「せめて遺体だけでも見つかってくれ」と、遺体安置所となった藤岡市内の体育館で待ち続けた。
事故から5日後の17日、遺体が見つかった。損傷が激しく、歯形でようやく身元を特定できた。「この姿を母には見せられない」と、棺の中を見たいと迫る母を「俺は何言われてもかまへんけど、絶対見せへんで」と最後まで止めた。
優勝報告として贈られたウィニングボール
阪神甲子園球場に併設される甲子園歴史館には、阪神タイガースが1985年に21年ぶりのセ・リーグ優勝を成し遂げた時のウィニングボールが展示されている。監督や選手のサインが並ぶこのボールはもともと、ある球団関係者に贈られたものだった。悲願の瞬間を誰よりも待ちわびながら、かなわなかったその人への優勝報告として。
事故当日、テレビのテロップに流れた乗客名簿の「ナカノ・ハジム」の文字に、克さんや阪神タイガースの関係者は衝撃を受けた。遺品には虎のネクタイピンが残されていた。



