本能寺の変で引き裂かれた細川忠興とガラシャの愛
本能寺の変で引き裂かれた細川忠興とガラシャの愛

大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、戦国武将とその妻の愛が描かれている。しかし、時代は血で血を洗う戦国の世。武家にとっては同盟のための婚姻が日常茶飯事で、恋や愛が入り込む余地はほとんどなかった。そんな中で、浅井長政とお市の方と同等、いやそれ以上に相思相愛だったと思わせる武将がいる。それが細川忠興夫妻だ。

文武両道の武将に嫁いだ美女

細川忠興は名門・細川家の出身。父・細川藤孝の代から信長に従い、忠興の名も信長の嫡男・信忠から一字を拝領している。15歳の初陣以来、数々の戦場で手柄を立てた猛将である一方、茶人としても知られ教養も豊かだった。父・藤孝同様、文武両道の名武将といえる。

一方のガラシャは、明智光秀と妻・煕子の三女。光秀と煕子も戦国時代にはまれな相思相愛カップルだったといわれ、煕子が結婚直前に疱瘡で顔に跡が残ったにもかかわらず、光秀は気にせず結婚した逸話が残る。ガラシャは「戦国三美人」の一人に数えられる美貌の持ち主だった。

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新婚時代の住居は山崎の戦いの拠点

二人が結婚したのは1578(天正6)年8月。忠興、ガラシャともに15~16歳だった。美男美女のカップルが祝言を挙げたのは、のちにガラシャの父・光秀が秀吉との決戦の際に拠点とした勝龍寺城(京都府長岡京市)だった。

しかし、運命の分岐点は本能寺の変。光秀が信長を討つと、ガラシャは逆賊の娘となり、夫・忠興から遠ざけられる。別居中にもガラシャは次男を産んだが、最期は自害に追い込まれた。忠興は妻を死に追いやった三成を許さなかったという。

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