毎年盛り上がりを見せる「夏の甲子園」には、球児たちの心身に深い傷を残す裏の歴史がある。スポーツライターの広尾晃氏は「つい最近まで高校野球では、腕が折れてもいいというような身体を極端に酷使する球児が称賛されてきた」と指摘する。本稿は、広尾晃『高野連』(新潮新書)の一部を再編集したものだ。
高校野球のルールを変えた意外な男
1958年、徳島商のエース板東英二は、4月の春季四国大会準決勝の高知商戦で延長16回を一人で投げ抜き勝利。翌々日の高松商戦も延長25回を一人で投げ抜き、敗退した。「3日間で41イニング」は大きな話題となったが、日本高野連はこれを問題視した。
日本高野連は、1948~50年の「健康調査」のデータも参照し、この夏の選手権大会から、延長18回裏の時点で勝敗未決の場合にはその時点で試合を打ち切り、翌日以降に再試合をするルールに急遽変更した。
新ルール施行直後のこの年夏の甲子園に出場した徳島商の板東は、準々決勝で魚津の村椿輝雄と投げ合い、延長18回に至るも決着がつかず、翌日の再試合も9回を完投して勝利を挙げた。自身の登板がきっかけでできた新ルールの最初の適用者となった。
「ただ感激あるのみ」と称賛した朝日新聞
板東の名は一躍注目を集めた。翌8月18日付の朝日新聞で、当時71歳の飛田穂洲は「ただ感激あるのみ」「大喜エツ、世の中の幸福を独り占めしたような喜びを感ずる」と書いている。
板東英二は中日に入団後は救援投手として活躍。引退後、解説者、タレントとして一世を風靡したが、野球史を語る上でも外せない人物だ。
遅すぎた「メディカルチェック」導入と医学界の警告
広尾氏は、医学界の警告を無視し続けたことや、アメリカが報じた「若い投手を壊す日本野球」といった問題も指摘。日本独自の異様な文化として、世界にさらされた甲子園の病理を挙げている。



