怪談落語の実力派・蜃気楼龍玉さん急逝、53歳 長講から新作まで挑んだ芸
怪談落語の実力派・蜃気楼龍玉さん急逝、53歳

落語家の蜃気楼龍玉(しんきろうりゅうぎょく)さん(本名・加藤暢彦)が6月11日に心不全で急逝した。まだ53歳だった。落語界4人目の「人間国宝」五街道雲助さんの三番弟子で、師匠譲りの三遊亭円朝作品や怪談噺で、いずれは当代きっての演者になると期待されていた。

龍玉さんは埼玉県秩父市出身。池袋演芸場の会で雲助さんの「富久」を聴いてその芸にほれ込み、「追っかけ」のようなこともしていたという。1997年2月に24歳で雲助さんに入門、同年4月に「五街道のぼり」で前座、2000年6月「金原亭駒七」で二ツ目となり、「五街道弥助」を経て10年9月に3代目蜃気楼龍玉を襲名し、真打ちに昇進した。14年には文化庁芸術祭新人賞を受賞している。

長講や怪談など重厚な演目を得意とした

円朝作で有名な「牡丹燈籠」や「真景累ヶ淵」、悪党たちが次々と人を毒殺する「緑林門松竹」、近松門左衛門の作で、親に勘当された油屋の放蕩息子が、同業者の妻を油まみれの場で衝動的に殺してしまう「女殺油地獄」など。師匠を手本に土台を築き、登場人物の息遣いまで丹念に描写しながら聴き手を噺の世界に引きずり込む高座が評価された。音源のないネタや、他にやり手のない噺も掘り起こしていた。

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馬石さんも円朝ものなどの長講に取り組んでいるが、龍玉さんの高座からは刺激を受けていたという。

速記を徹底して読み込み「文字が体に入っていた」

「昔の速記本の通りにやる、書いてある通りに覚えてやるというのは本当につらいことなんです。その点で龍玉は、(雲助)師匠よりも速記通りだった。師匠だと『雲助節』にもなるんですが、龍玉は速記通りの噺のリズムだから、彼しか出せない色や景色が噺から見えてくる。亡くなった後にノート(台本)を見せてもらいましたが、速記通りに一言一句きっちり書いてあった。普通なら説明を付け足したり、現代ではわからない言葉や場面を消したりするのですが、龍玉の台本には注釈がない。速記通りにやって間違えなかったのは、徹底して読み込んで、文字が全部体に入っていたんでしょうね」と馬石さんは語る。

前座時代から、雲助さんに稽古をつけてもらう時間が長く、口調から間の取り方まで師匠そっくりと言われた。前座仲間で同期真打ちの林家きく麿さんは「二ツ目になってもまだ似ていましたが、真打ちになるころには今の『龍玉』になってきました。それまでは師匠のカタチを守っていたけど自分に余裕ができてきたんでしょう」と話す。

不器用だけど頑固 覚えたネタ数は多かった

覚えたネタ数は多かったというが、寄席など比較的短い高座では「ぞろぞろ」「親子酒」「鹿政談」などを好んでよくかけていた。前座仲間の時代によく飲み、同い年で親交の深かった三遊亭天どんさんは、龍玉さんと二人会を続けてきた。「偶然に仲が良くて、お互いに古典も好きで、飲んで落語の話もしました。(龍玉さんは)不器用だけど一生懸命に覚えてやっていた。こいつと組むと儲かりそうだからとかメリットがあるからとか、そうじゃない方向に2人がいて、それが二人会の意義といえば意義だったんでしょうね」

そんな龍玉さんが数年前から、仲間の創作した落語をやるようになった。きっかけの一人となったのは、落語協会で一緒に真打ちに昇進した5人の一人で創作の爆笑派、きく麿さんだった。「僕の作った噺を同期にやってもらう会を始めることになり、龍玉さんにも声をかけた。断られるかと思ったけれど一発でオーケーをもらいました」

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小学生の会話が「人殺しの間」に

長講での凄惨な殺しの場面を見せ場に、人呼んで「殺しの龍玉」。その噺家が創作落語を演じるというギャップがファンに受けた。きく麿さん作の「首領(どん)が行く!」は小学校4年生の教室で一人ひとりが自分の見た映画の感想を話すうちに、任侠もののVシネマに影響された2人が次第に登場人物になりきって牛乳で兄弟の杯を交わし、校庭で遊ぶ場所の取り合いを巡ってあわや隣のクラスとの抗争に発展か……という内容だ。

「登場する小学生の会話が子供の『間』じゃなくて、人殺しの『間』なんです。それがお客さんにドッカンドッカン受けた。あんまり受けすぎて高座でせりふを忘れて絶句したことがありました。その日の打ち上げで本人は悔しくてへこんでいた。受けたからいいじゃないかってことにはできないんです」ときく麿さんは振り返る。

そんなきく麿さんも龍玉さんから大きな刺激をもらった。「自分で作った噺を他人がやって受けると嫉妬も感じるけれど、その反面で、ちゃんとした作品が作れたんだなという自信にもなる。よし、もっと頑張ろうという励みになりました」

酒席では「箸を割らない男」

酒席では、仲間から「箸を割らない男」と呼ばれた。酒しか飲まないという意味だ。同じように酒をこよなく愛した大師匠の10代目金原亭馬生さん(雲助さんの師匠)は1982年に54歳で亡くなったが、孫弟子の龍玉さんはその大師匠よりも早くに旅立ってしまった。

最後の高座は亡くなる5日前、都内で長講の「怪談乳房榎」を通しで演じた。亡くなった日の夜には、馬石さんとの7回目の兄弟会が横浜にぎわい座で予定されており、龍玉さんはトリで夏の定番の噺「千両みかん」をかけることになっていた。

一門会で師匠が亡き愛弟子に鎮魂の高座

雲助さんは自らの公式サイトで、「入門当時から手のかかる末っ子でした その思い入れもあり、かえって可愛くもありました」と悼んだ。

四十九日が過ぎた7月31日、東京・上野の鈴本演芸場余一会で毎夏恒例の「雲助一門会」が開かれ、主任(トリ)の雲助さんが、酒と因果応報にまつわる怪談「もう半分」を演じた。噺の中盤では、仕事帰りに立ち寄る煮売酒屋(居酒屋)に置き忘れた大金をネコババされた行商の爺さんが悲観して川に身投げをするストーリーで演じられることが多いが、雲助さんの演出は居酒屋の亭主が口封じのために老人を出刃包丁で殺してしまう。龍玉さんも師匠と同じ型でやっていた噺で、殺しの場面では、鳴り物入りの芝居ぜりふが入り、立ち見も出た満員の客席が息を詰めて聴き入った。