熊本地震で煙突が倒壊し、9人が犠牲となった熊本県八代市の日本製紙八代工場で、同社従業員の本村健(たけし)さん(59)も巻き込まれて命を失った。「先に逝ってしまうなんて……」。母親の玲子さん(90)は、最愛の息子との突然の別れを受け止めきれないでいる。
「あと1年で退職の予定だった」
「あと1年で退職の予定だった。親子でゆっくり過ごせると思っていた」。玲子さんは、声を詰まらせながら語った。
あの日は、いつもと変わらない朝だった。「グッドモーニング!」。朝7時頃、洗濯物を干していると健さんの明るい声が響いた。パンをほおばり、牛乳を流し込んだ健さんは、「じゃ、行ってくるね」と言って会社に向かった。
「行ってらっしゃい、暑いので気をつけてね」。玄関でそう声をかけ、見送った背中が最後の姿になるとは思いもしなかった。
激震と連絡の途絶
7月28日午後4時27分頃、自宅で晩ご飯の献立を考えていた玲子さんを震度6強の激震が襲う。大きくずれ動く冷蔵庫。食器も散乱して足の踏み場がない中、命からがら外に飛び出した。恐怖で体の震えが止まらなかった。
余震が続く中、工場の方に目をやると、巨大な煙突が半分に折れていた。見たことのない光景に驚いていると、携帯電話が鳴った。「お兄ちゃんはどげんした? 電話が通じらん」。健さんを心配する次女の悲鳴にも聞こえる声に、胸がざわついた。
会社からの電話
数時間後、会社の関係者から電話がかかってきた。「(健さんは)下敷きになっています。今、救出しています」。涙が止まらなかった。助かるという希望は捨てなかったが、関係者の声は電話のたびに暗くなっていく。「もうだめかな……」。翌日の午前9時20分頃、助からなかったと伝えられた。「この先どうやって生きていったらいいの」とうちひしがれた。
3人きょうだいの真ん中で生まれた健さん。誰にでも優しく、頼りになる自慢の息子だった。小学3年生から野球を始め、高校では捕手として活躍。高校卒業後は日本製紙で働き、社会人野球でも活躍した。「たけちゃんは頼んだことは断らん」と職場でも人望が厚かったと聞いた。ずっと一緒に暮らし、夫が1年半前に施設に入所後は2人で過ごしてきた。
地震前日の出来事
地震前日の27日、健さんは午後から休みを取り、玲子さんが服用している薬をもらうために一緒に病院に行ってくれた。玲子さんが28日に予定があったためこの日になったといい、「28日に病院に行っていれば(職場にいなくて)助かったんじゃないか」とやり場のない思いが込み上げる。
記者会見で知った原因
8月5日に開かれた同社の記者会見。玲子さんは長女宅でテレビ中継に目を凝らした。中央部分から折れた高さ80メートルの鉄筋コンクリート製の煙突が、近くでデスクワーク中だった健さんの命を奪ったことを知った。「どうして煙突が倒れたのか、原因が知りたい」
たわいもない日常は、かけがえのない時間だった。「手作りは良かねー! おいしかー!」と食事をほおばってくれた健さん。膝と袖口が油で汚れた息子の作業着を、たわしで一生懸命こすって洗うのが楽しみだった。
玲子さんは今、思い出を胸に日々を懸命に過ごしている。「生きがいを失った。たけちゃんは、もう帰って来ない。心の中でずっと思いながら一生を送っていくと思います」(石原圭介)



