美瑛開拓の田仲儀太郎のひ孫、那智勝浦を初訪問
美瑛開拓の田仲儀太郎のひ孫、那智勝浦を初訪問

明治時代に北海道美瑛町の原野開拓を主導した田仲儀太郎(1874~1910年)のひ孫にあたる田仲博行さん(75)(東京都文京区)が、儀太郎の出生地である那智勝浦町長井地区(旧長井村)を初めて訪れ、地元住民らと交流した。

友好都市締結がきっかけで出生地が判明

儀太郎は21歳の頃、旧長井村の住民らを率いて北海道に渡り、開拓に尽力。今年4月、美瑛町と那智勝浦町が友好都市になったのを機に、儀太郎らの出生地が長井地区であることが判明し、今回の訪問に至った。

田仲さんは7月15日、長井区民会館で長井地区の尾崎嘉彦区長(79)や近くの町立太田小学校の柴原寛校長(50)らと面会し、儀太郎の移住の経緯や当時の時代背景について意見を交わした。

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パイオニア精神と災害が移住を後押し

田仲さんは、祖母から聞いた話として「儀太郎は大阪の学校の入学試験に合格し、親から『お伊勢参りに行きなさい』と渡された旅費で北海道を視察した。親に内密で(北海道へ渡る)構想を温めていたと思う」と話した。さらに「当時は和歌山からハワイなど海外への移住が盛んだった。この地域に根付くパイオニア精神も移住を後押ししたのではないか」と語った。

柴原校長は、儀太郎ら長井出身の移住者の居住地を示した手製の地図パネルを見せながら、当時は台風に伴う水害が相次いだことを紹介し、「災害への不安が移住を決断する一因になったかもしれない」と思いを巡らせた。

曽祖父の地で感慨に浸る

その後、田仲さんは儀太郎が暮らしていた跡地を訪問。現在も住民が生活する場所に向かって何度も深く礼をし、「ようやく先祖の地に来られた。本当に良かった」と感慨深げだった。

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