父の遺影抱き孫娘が追悼式参列 戦後81年、平和への祈り託す
父の遺影抱き孫娘が追悼式参列 戦後81年、平和への祈り託す

戦後81年の15日、東京・日本武道館で全国戦没者追悼式が開かれ、3112人の遺族が参列した。この中に、先の大戦で父を亡くした山形県米沢市の高野欽一さん(82)の孫で小学3年の横沢明日香さん(9)の姿があった。高野さんは戦争の悲惨さを伝えるため明日香さんと一緒に式に臨むつもりだったが、5日前に急病で入院し、自身の参列は断念。平和への祈りを孫に託した。

孫娘が献花補助、緊張しながらも役割果たす

追悼式で山形県の献花補助者を務めた明日香さんは、緊張した面持ちを見せながらも、壇上へ向かう遺族らに花を渡し、滞りなく役割を果たした。初めて参加した明日香さんは「来られなかったおじいちゃんの思いも込めてお祈りした。戦争はいけないと友達にも伝えていきたい」と力を込めた。

高野さんは10日に心不全が判明して入院し、参列を急きょ取りやめた。病院で明日香さんから電話で式の報告を受け、「参加できなかったのは断腸の思いだが、孫娘がしっかりと役目を果たしてくれた」と安堵した様子で語った。明日香さんに付き添った母の陽子さん(46)も「平和に対する父の強い願いは娘にも伝わっている」と目を細めた。

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父・栄介さんはルソン島で戦死、生涯で一度だけの抱擁

高野さんの父・栄介さんは米沢で織物をつくる機屋に勤めていた。長男の高野さんが生まれた直後の1944年8月に召集令状が届き、陸軍第8師団に入隊。師団から戦地へ向かうための列車が米沢駅で途中停車した時、父は生まれて間もない長男を生涯で一度だけ抱くことができた。

栄介さんはその後、フィリピンへ出征。45年8月にルソン島で亡くなったとされる。30歳だった。父の戦友が後に明かした話では、終戦を迎えたのを知って一緒に投降しようと誘ったが、栄介さんは応じず、上官と山を登っていったという。「真意は分からないが、きっと責任感みたいなものだったのだろう」。高野さんは父の思いを推し量る。

孫たちに戦争の記憶を継承、4人全員が追悼式参列

機屋として独立することを夢見ていたという父。戦地からの手紙では「欽坊」とつづり、生まれたばかりの我が子を案じていた。2人の子と4人の孫に恵まれた高野さんは「自分も一度でいいから『父ちゃん』と呼んでみたかった」と語る。

父を亡くしたことで生活は苦しく、おもちゃを買ってもらえる近所の子をうらやましく感じたこともあった。それでも父のことはずっと心にあり、終戦の日には追悼を欠かさなかった。年を重ねるにつれ、若い世代に戦争の記憶を継承したいとの思いが募り、2019年の追悼式から孫を1人ずつ連れて行くようになった。今回の明日香さんで、4人の孫全員が追悼式への参列を果たした。

終戦から81年。高齢になり、自分のように追悼式に参加できない戦没者の子ども世代の遺族はさらに増えていくだろう。だからこそ高野さんは、孫たちに期待している。「父をはじめとする戦没者の犠牲の上に我々の幸せがあると、次の世代に語り継いでほしい」

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