アジアパラ開閉会式、栗栖良依さんが語る「ハレ」の祭典への思い
アジアパラ開閉会式、栗栖良依さんが語る「ハレ」の祭典への思い

10月に愛知県を中心に開かれるアジアパラ競技大会(読売新聞社協賚)の開閉会式で、足に障害があるアートプロデューサーの栗栖良依さん(48)が総合プロデューサーを務める。闘病を経て障害者の視点に興味を持ち、これまで数多くの人の「ハレ」の舞台を演出してきた栗栖さんに思いを聞いた。

高校で見た五輪開会式が夢の原点

「私がやりたいのはこれだ」。高校在学中、進路を悩んでいたところ、ノルウェーで開催されていたリレハンメル冬季五輪(1994年)の開会式をテレビで見た。子どもからお年寄りまで、大勢の一般人で作る景色に心を奪われ、進みたい道が定まった。

大学で「アートマネジメント」を学びつつ、98年の長野冬季五輪にもボランティアとして参加した。その後、ミラノに渡ってデザインとファッションの名門校でビジネスデザインを学んだ。

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骨肉腫との闘い、障害者としての新たな視点

日本に戻り、新潟県で地元商店街の人と協力して、映像作品を作るプロジェクトを手がけるなど、少しずつキャリアを積んでいった。30歳代、仕事が軌道に乗り始めている栗栖さんを、突然病が襲った。右膝に痛みを覚え、大学病院で診てもらうと「骨肉腫」と診断された。いつか開かれることを期待していた東京五輪での活躍を夢見てきたが、「無理してまで生きることはできない」と、これまでのキャリアや夢もそこで1回捨て、治療に専念した。

すぐに抗がん剤治療を開始したが、進行しており、腫瘍のみならず周辺の脂肪や骨も取り除く必要があった。半年以上抗がん剤治療をし、3回の手術を経て退院した。右足には金属製の人工関節が入り、歩くにはつえが欠かせない。自分が想定していなかった「障害者」になったことを自覚した。

退院後は歩行の訓練から始まった。電車に乗るのも大変だとわかった。20歳で車の免許を取得して以来ぺーパードライバーだったが、行動範囲を広げるために改めて講習を受けて運転も始めた。

東京パラで実現した多様性あふれる舞台

仕事を離れた生活が続いていたが、知人の依頼があり、障害者が作った雑貨を、百貨店で販売するプロジェクトに取り組むことになった。障害者施設を訪れると思わぬ歓迎を受けた。「もし障害のない人間だったら『東京から来たクリエイター』と壁を作られていただろう。つえをついておぼつかない足取りの私だから、親切に仲間に入れてくれた。社会復帰の環境に恵まれた」と振り返る。

病は新しい見方を与えてくれた。障害のある人と関わるようになり、視覚障害の人は視覚以外でものごとを捉えているなど、「自分にはない視点」をたくさん持っていることに気づかされた。その頃、2020年のオリンピックとパラリンピックの東京開催が決まった。五輪へ関わるという夢は一度あきらめたものだったが、障害を持つ人々との交流を通じて、さらに面白いものができあがるという思いが自分を突き動かし、東京パラの開会式に携わりたいという気持ちが高まった。

東京パラを見据え、14年ごろから障害者たちとパフォーマンス作品を作ろうと、体験型ワークショップを企画。障害と舞台芸術に詳しい専門家の力を借り、人材発掘にいそしんだ。活動が知れ渡り、東京パラの開閉会式におけるステージアドバイザーとして声がかかった。新型コロナによる延期などで計画の見直しも迫られたが、仲間と障害者たちでも舞台に立てる安全な環境を作り、約180人の多種多様な障害がある人による開会式を実現できたことは大きな喜びだった。

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アジアパラで目指す「違うまま、一緒に。」

昨夏、アジアパラ大会の開閉会式におけるトップの総合プロデューサーを任された。東京パラは4、5年かけて1200人ほどのスタッフで準備したが、1年あまりの時間で白紙の状態からのスタートするという難しさがあったという。

事態は想像を超えた。選手村は設置されない。開閉会式に参加する選手の輸送ルートの確保や競技との兼ね合いで、十分なリハーサルの時間が確保できないといった課題が次々と出てきた。五輪と比べると制約も多いが、それでも国際大会としての体裁を保つ以上、パラアスリートの尊厳を守れるものを作り上げようと日々奔走している。

開閉会式の演出コンセプトは「WABI」。「We Are Beautiful Individuals」(日本語訳は「違うまま、一緒に。」)の頭文字をとった。栗栖さんは「アジアの中でも医療や福祉が充実していない国・地域もあり、義足を買うのも困難といった経済格差もある。いろんな国・地域から集まる選手1人1人に生き抜いてきた強さがあると思う。記録も大事だが、それだけではない視点がある」と力を込める。目指すのは、個人の力や魅力をたたえ合い、障害のある人もないひとも生きやすい社会になることだ。

栗栖さんがずっと大事にしてきたのは「ハレとケ」だ。「ハレ」は特別で、非日常な晴れ舞台の機会で、日常を表す「ケ」とは対称的な概念だ。学生生活などでは発表会といった「ハレ」の機会があるが、大人になると、仕事に忙しい日常が続く人が多くなると語る。「ハレ」の日は、スポットを浴びることで普段隠れている力が発揮でき、それまでコミュニティーの中で注目されていなかった人に光があたるという。「そうした成功体験で、日常の暮らしでも自己肯定感が持てる」と語る。

今回の開会式では、聖火台や選手が入場する「ウェルカムゲート」の作製に参加する人を募集する。市民の参加が目的で、栗栖さんは「アジアの45の国と地域からやってくる選手たちを温かく迎えたい。一緒に盛り上げてください」と参加を呼びかける。多種多様な人の「ハレ」で、アジアパラ大会を肯定感で包み込もうと、準備を進めている。