101歳元特攻隊員、81年ぶり台湾の訓練地で涙「平和でいてほしい」
101歳元特攻隊員、81年ぶり台湾訓練地で涙

太平洋戦争末期、日本統治下の台湾で特攻隊員として訓練を受けた増田正さん(101)(京都府京丹後市)が今年5月、81年ぶりに現地の飛行場跡を訪れた。戦争遺構の検証に取り組む台湾の大学関係者に招かれた。訪問を機に新たな交流も芽生えており、増田さんは「日本も台湾も今のような平和のままであってほしい」と願う。

81年ぶりに立った訓練の地

台湾中西部の彰化県にある彰化飛行場跡で5月23日、増田さんは当時の姿を残す防御陣地「トーチカ」の前に立った。かつて陸軍の特攻隊「誠114飛行隊」に配属され、訓練を重ねた場所だ。現在は畑が広がり、滑走路はない。「言葉にならない」。感極まり、自然に涙が流れたという。

少年飛行兵から特攻隊へ

京丹後市で染色業などを営む家に生まれた。5人きょうだいの長男で幼少期から飛行機に憧れ、17歳だった1942年、埼玉県の熊谷陸軍飛行学校に入り、翌年に少年飛行兵となった。

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44年3月に台湾へ。北西部の桃園飛行場や彰化飛行場で飛行訓練を受けた後、特攻隊に志願した。「敵艦を沈める」。ただ、その思いだけだった。それからは敵艦に突っ込むことを想定して、低空飛行や急降下の特攻訓練を繰り返した。

出撃、不時着、そして終戦

45年4月に宮古島の飛行場へ移動し、出撃した。だが、エンジンが故障し、途中で海に不時着した。結局、台湾に戻って終戦を迎え、46年2月に帰国した。

帰郷して地元の役場に就職。結婚し、娘2人が生まれた。稲作などを兼業しながら定年まで勤め、「二度と台湾に行くことはない」と考えていた。

再訪が生んだ新たな交流

だが、今年に入り、台湾で自治体や企業と連携し、彰化飛行場など戦争遺構の活用を目指す大学研究者らの招待を受けた。研究者の知人の日本人男性が、戦史の伝承に取り組む兵庫県加西市の団体メンバーのSNSで紹介されている増田さんを知り、仲介した。

「もう一回見ておこう」と増田さんが思い立ち、娘の玲子さん(74)、ひとみさん(68)と台湾を訪ねたのは5月22~25日。大学研究者らの案内で彰化飛行場跡を訪問後、地元の自治体などが主催する交流会に出席した。かつて現地で食事などを世話してくれた同年代の男性と、81年ぶりの再会も果たした。

再訪を機に台湾との交流が続いており、再会した男性とは「また会おう」と約束した。7月には、大学研究者の依頼で増田さんのドキュメンタリー制作を手がけている台湾の映画監督が来日した。完成時に連絡をくれることになっており、増田さんは「また台湾を訪れたい」と切望している。

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