戦死した父の遺髪を胸に…81歳看護師、追悼式で誓う「続けられる限り」
戦死した父の遺髪を胸に…81歳看護師、追悼式で誓う「続けられる限り」

終戦の日の15日、東京・日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式に、徳島市の看護師、仁志マサエさん(81)が参列した。戦死した父を思い、看護師の道を歩み出して半世紀余り。今も現役で地域医療を支える仁志さんは「父が看護師に導いてくれた。続けられる限り頑張りたい」と改めて誓った。

唯一の宝物を胸に

仁志さんはこの日朝、日頃から持ち歩いている父・巌さんの遺髪や写真を入れた袋を大事そうに抱え、会場の日本武道館に入った。「唯一の宝物だから。いつも一緒やけん」と語る。

戦地へ向かった父、誕生から9日後に戦死

徳島県小松島市の大工兼農家だった巌さんは1944年3月、海軍の佐世保海兵団に入団した。同年9月21日、航空隊の整備兵としてフィリピンへ船で向かう途中、ルソン島沖で米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて海に沈んだ。当時32歳。仁志さんの誕生からわずか9日後のことだった。

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戦地に向かう父が身重の母に宛てた最後の手紙には、女の子が生まれたら「マサエ」と名付けるよう書かれていた。母の名前は「マスエ」。「父は母が大好きやったから、よく似た名前を付けてくれたんと思う。大切な名前です」と仁志さん。接することすらかなわなかった父を思うと、今も涙が浮かぶ。

ナイチンゲールの伝記が導いた看護の道

一家は大黒柱を失い、終戦後の暮らしは貧しかった。小学生の仁志さんもムシロを織ったり、農繁期は学校を休んで田植えや草刈りに励んだりして生計を支えた。苦しい日々の楽しみは、貸本屋で借りた本を読むことだったという。出会ったのが、ナイチンゲールの伝記だ。従軍看護師として出向いた戦場で、敵も味方も区別なく負傷兵を手当てする献身的な姿に強くひかれた。

読み進めるうち、兵士らの姿が父に重なった。「戦場に行かざるをえなかった父のような傷ついた人たちに尽くしたい。父もきっと喜ぶはずだ」と看護の道に進もうと決意した。

半世紀以上、地域医療を支え続ける

中学卒業後に准看護師の資格を取り、県内の病院に勤めた。結婚・出産を経ても働き続け、勉強の末に47歳で正看護師の資格を取得した。現在も県看護協会の登録ナースとして各地に出向き、地域医療の担い手であり続ける。

会えないまま死別した父への思いは今も募る一方で、県遺族会の慰霊事業などでフィリピンを4度も訪れた。今年4月には父が乗った船が出航した台湾・高雄港を単身で訪問した。父の好物だったあんパンを持参し、4人の孫の成長ぶりなどを報告したという。

戦争のない未来への祈り

改めて父への感謝を伝え、戦争が二度と起きないよう祈ろうと、今回の追悼式への参加を決めた。もちろん、看護師として今後も尽くす決意も伝えた。「社会の役に立っている姿を、まだまだ父にも見てほしいから」と語っている。

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