山本太郎氏の代表辞任と政界引退、大石共同代表の辞任と離党、党役員の総退陣、そして党名変更――。一連の動きにより、れいわ新選組は実質的に解党した。政界関係者の間では「『山本党』とされてきたれいわの終焉」との見方が広がっている。しかし、この出来事は単なる一政党の消滅にとどまらず、山本氏の軽挙妄動が政界に重い罪を残したとの指摘が相次いでいる。
山本太郎氏の政界での歩み
山本氏が政界入りを目指したのは2012年12月の衆院選。東京8区から無所属で立候補し、反原発などを訴えて7万票余りを獲得したが、次点で落選した。翌2013年7月の参院選では東京選挙区から無所属で立候補し、66万票余りを獲得、4位で初当選を果たした。
2014年12月の衆院選では、東京8区から立候補した民主党の円より子氏への支援を表明したが、同氏は落選(石原伸晃氏が当選)。選挙後、山本氏は政党要件を失っていた生活の党(小沢一郎党首)に入党し、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めさせた。
2016年10月、同党が「自由党」に党名変更した後も党籍を置いたまま、自身の政治団体「山本太郎となかまたち」から次期衆院選で比例東京ブロックでの候補者擁立を目指すと表明したが、最終的には見送った。
「山本れいわ」の光と影
2019年4月、山本氏は自由党を離党し、政治団体「れいわ新選組」を設立。同年7月の参院選比例区に立候補し、同区の全候補者で最多となる99万票余りを獲得した。しかし、特定枠により他の候補者2人が優先当選したため、山本氏自身は落選。それでも同党の得票率4.6%が政党要件を満たし、代表に就任した。
この参院選では、山本氏の政見放送動画が84万回再生され、街頭演説の動画がSNSで大量にリツイートされた。メディアは「れいわフィーバー」「れいわ旋風」と報じ、複数の野党から連携を持ちかけられるなど、中央政界で注目される存在となった。
しかし、山本氏が病気療養を発表した後の年明けの衆院選で、れいわは1議席を得たものの、自民党の比例名簿不足がなければゼロ議席という惨敗を喫した。その後、内部対立が露呈し、山本氏の不祥事や大石共同代表の極端な言動への批判が強まり、党運営が危ぶまれる状況に陥った。
批判と反発を招いた記者会見
山本氏は7月9日の記者会見で代表辞任と政界引退を表明したが、その言動には批判や反発が相次いでいる。政治ジャーナリストの泉宏氏は「山本氏の軽率な行動が、れいわの支持者だけでなく、野党全体の信頼を損なった」と指摘する。会見で山本氏は笑顔を見せ、辞任を軽く受け止めている印象を与えたことが、さらなる批判を招いた。
れいわの消滅は、単なる「色物政党」の退場劇ではなく、山本氏の軽挙妄動が政界に残した「重すぎる罪」として、今後の政治に影を落とす可能性がある。



