雨だと不登校の細川護煕、学習院で「ごきげんよう」に困惑…伯父の死で政治の道へ
雨だと不登校の細川護煕、学習院で「ごきげんよう」に困惑…伯父の死で政治の道へ

元内閣総理大臣の細川護煕さん(88)は、小学校や中学校では学校生活になじむことができなかった。そんな中でも、恩師と呼べる人々との出会いがあり、政治の道に進む志を固めていった。

中学時代は「問題児」、恩師の言葉に励まされる

細川さんは「中学時代は、雨が降ると学校に行かないとか、試験の答案にはめちゃくちゃなことを書くような問題児でしたが、『恩師』と呼べる先生もいました」と振り返る。その先生は、栄光学園の先生ではなく、清泉女子大学で英文学を教えていた木曽秀観先生だった。木曽先生は細川さんの家の離れに奥さんと住んでおり、父が仕事で忙しく子どもたちに目が行き届かなかったため、「お目付け役」のような形で面倒を見てくれていた。

細川さんが父に悪い試験の結果を見せると、父は嫌そうな顔をしていたが、木曽先生は「それがどうした」と逆に励ましてくれたという。また、「学校の成績が良いとか悪いとか、良い大学や会社に入ろうが、それは大したことではない」とも言われ、「人間なんて、この宇宙、悠久の時の流れからすると、とるにたらないものだ」と教えられた。

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細川さんは木曽先生の部屋をたびたび訪ね、夏は蚊帳の中にいることが多かったので、自分ももぐりこんで、寝物語に仏教的なものの見方など様々な話を聞いた。特に「明日は御座無く候」という言葉が印象に残っているという。これは「人はいつ死ぬかわからないのだから、今日が最後だと思って、その日その日を精いっぱい生きなさい」という意味で、今も座右の銘の一つとして心に刻んでいる。

学習院で「ごきげんよう」に違和感、政治指導者を志す

転校を勧告された栄光学園を離れ、高校は学習院高等科(東京都豊島区)に入学した。「『ごきげんよう』とあいさつする生徒もいて、違和感はありましたが、小学校、中学校の時よりは自由になりました」と語る。

この頃の夢は政治指導者だった。中学の時から考えていたことだが、高校ではナポレオンやビスマルク、チャーチル、ドゴールら歴史を動かした指導者の伝記を読み、さらにその志を強くした。その頃愛読していた中国の歴史書に「語るに言少なく、善く人に下り、喜怒を色に形さず」という記述があり、「一言でいえば、謙虚であれということ」で、政治指導者のあるべき姿として折に触れかみしめる言葉となった。

高校2年の頃、母方の祖父にあたる近衛文麿(元首相)の長男で、秘書も務めた文隆がシベリア抑留中に亡くなった。文隆は政治的才覚があり、一族だけでなく多くの人から将来を嘱望されていたため、細川さんは「彼が帰ってくるのをすごく楽しみにしていた」という。伯父の死に接して、その遺志を継いで政治の道に進む決意をより強くした。

京都で足利氏の子孫から教えを受け感化される

高校時代には室町幕府の足利氏の子孫から教えを受け、感化された。高校2、3年の頃、ふと思い立っては京都に行き、比叡山の宿坊で座禅を組んで過ごしたり、京都大学で教えていた足利惇氏先生を訪ね、マンツーマンで様々なことを教えてもらったりした。足利先生は室町幕府の足利家の子孫で、京都にあった祖父の別邸の離れにご夫婦で住んでいたため、教えを乞うのに好都合だった。

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足利先生はインド哲学が専門だったが、幅広い見識を持ち、歴史家ギボンの『ローマ帝国衰亡史』や哲学者プラトン、カントなども教えてくれた。特にプラトンの「人間には3種類ある。一つには死んでいるもの、二つは死んでいないが、ただ生きているだけのもの、三つは海に向かって旅立つもの」という言葉が心に残っている。海とは理想であり、希望を指すのだと思い、そうした言葉に感化されたという。