熊本の廃墟モール「エムズシティ」の切ない歴史:生協との競争に敗れ閉鎖
熊本廃墟モール「エムズシティ」の切ない歴史

熊本県にある「廃墟モール」として知られるショッピングセンター「エムズシティ」(旧寿屋水俣店)は、どのような歴史をたどったのか。ショッピングセンター研究家の坪川うた氏が、その切ない歴史を解説する。

衣屋の創業と競合の台頭

衣屋は1868年(明治元年)に創業し、1976年(昭和51年)に改築工事を行って増床し、「ショッピングデパート衣屋」となっていた。1978年(昭和53年)にはニチイ系列に入り「水俣ファミリーデパート衣屋」と改称した。

より強力な競合が水光社だ。水光社は日本窒素肥料(チッソの前身)の消費組合として1920年(大正9年)に発足した生協である。水光社も衣屋の増床に対抗し、1977年(昭和52年)に売り場を拡張していた。

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寿屋進出と激しい安売り合戦

寿屋進出の際も水光社は売り場を改善し、チッソ水俣工場の職域生協から一般市民を対象とする地域生協への組織転換を行い、さらに寿屋の開店に合わせてセールを実施した。その結果、寿屋のオープン3日間の売り上げ合計は水光社の半分にとどまった(『生協運営資料』1981年9月)。

「寿屋水俣店」の進出後、寿屋と水光社は激しい安売り合戦を繰り広げた。その競争ぶりは凄まじく、1982年(昭和57年)には独占禁止法違反の不当廉売の疑いで公取委事務所から事情聴取を受ける事態にまで至っている。

衣屋の閉店とその後

激しい価格競争の結果、最初に倒れたのは衣屋だった。寿屋と水光社のあおりを受けた「水俣ファミリーデパート衣屋」はアライド九州と合併し、「アライド九州水俣店」として営業。しかしそれでも売り上げは減少し、1983年(昭和58年)2月、創業116年目にして閉店した。「アライド九州水俣店」の売り場面積は、3つの大型店の中で最も小さかった。

市は、「アライド九州水俣店」の跡地を核に商店街の再開発を図る中心市街地再生計画を検討した。ところが市が建物を取得する前に所有者から別会社へ売却、さらにその会社から転売され、最終的にパチンコ店となり今も営業を続けている。

寿屋を引き継いだ水光社

寿屋もその後、水光社との競争に敗れ、撤退を余儀なくされた。寿屋の建物は後に「エムズシティ」として再出発したが、閑散とした状態が続き、最終的に建物の半分が閉鎖されるに至った。現在、廃墟モールとして知られるその姿は、かつての激しい競争の歴史を物語っている。

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