東日本大震災15年、被災地の経験を若手に継承 日赤職員が港区で講演
東日本大震災から11日で15年となるのを前に、日本赤十字社本社(東京都港区)で3日、当時被災地で現場対応した職員らが、震災後に入社した若手職員に向けて貴重な経験を語り継ぐ講演会が開催された。全国の病院や支部で働く職員計約6万6800人のうち、震災後に入った人は実に6割に上る。命を守る活動に従事する若手職員にも教訓を生かしてほしいとの思いから、オンラインで全国の関連施設にも中継が行われた。
「野戦病院のような状態」医師が振り返る震災直後の現場
昨年本社に移るまで宮城県石巻市の石巻赤十字病院で医師を務めていた植田信策さん(62)は、震災当時の状況を生々しく語った。ロビーにも人が横たわり、まさに野戦病院のような状態だったこと、職員自身も家族の安否が分からないまま働き続けた日々を振り返り、「目の前の人の命を救うのに集中するしかなかった。同じ状況になったら、皆さんもそうなるのでは」と若手職員に呼びかけた。
植田さんは、避難所の劣悪な環境が健康被害を引き起こす問題にも触れ、トイレ(T)、キッチン(K)、ベッド(B)を48時間以内に設ける「TKB48」という避難所・避難生活学会のキャッチフレーズを紹介。「温かい食事など人らしい暮らしがあると、生活再建への意欲が生まれる」と強調した。さらに、国への要望活動により、段ボールなどでできた簡易ベッドの設置が防災基本計画に盛り込まれた経緯も伝えた。
原発事故に直面した福島での苦渋の決断
福島県支部の久保芳宏事業推進課長(60)は、地震と東京電力福島第1原発事故発生に直面した10日間を時系列で振り返った。沿岸部の相馬市と新地町に救護班を向かわせたものの、原発事故を受け一時撤退せざるを得なかった苦渋の決断について、「見捨てていくんでしょ、という避難者の声を聞いた班員もいて、非常につらい思いをした」と語り、時折涙ぐみながら当時の心情を明かした。両市町では日赤の活動が続けられなかったことへの悔いが残ると述べ、その後、事故からの1年間、支部が警戒区域に住民が一時立ち入りする際の医療支援に携わった経緯も説明した。
被災者として、看護師としての体験を共有
宮城県支部の防災ボランティアとして啓発活動を行う安倍志摩子さん(64)は、東松島市で被災した自身の体験を語った。自宅や隣接の会社事務所ごと津波で流され、「九死に一生を得た」経験を伝え、幸い家族も無事だったと述べた。看護師として避難所にいた2週間、避難者の健康状態を聞きながら医療につないだ活動を振り返り、「悲しみに寄り添うこと、静かな笑顔をたたえていることが基本だと思った」と語った。災害直後は支援もまだ十分届かず、「してもらうのではなく、自分たちで」が大切だと強調した。
若手職員の決意「後方支援でもできることを」
講演を聞いた入社3年目の財政部契約課、駒野早紀さん(25)は、「目の前の人を救うしかない、という言葉に決意を感じた。震災当時は小学生で、被災地のことは映像でしか知らず、学びになった。本社で働いた経験しかないが、災害時は後方支援でもできることをやっていく」と感想を語った。若手職員にとって、直接経験者の生の声は貴重な学びの機会となった。
この講演会は、東日本大震災から15年という節目を迎える中、被災地での救護活動の経験と教訓を次世代に確実に継承していくための重要な取り組みとして位置づけられている。日本赤十字社では、今後も同様の機会を設け、防災・減災への意識向上と組織全体の対応力強化を図っていく方針だ。



