織田信長にとって最大の危機はどこだったのか。歴史評論家の香原斗志氏は「足利義昭らの手引きにより信長包囲網が組まれ、次々と部下が離反していった時だろう。だが、その危機は一人の武将の死によって終わりを告げた」と語る。その武将こそ、越後の「軍神」上杉謙信である。
謙信の死がもたらした歴史の転換点
天正5年(1577)8月、信長包囲網の核心として動いていた上杉謙信が、酒好きがたたって急死した。香原氏は「もし謙信があと数年長命だったら、豊臣政権はなかったかもしれない」と指摘する。謙信の死により、信長は最大の脅威を失い、天下統一への道が大きく開かれた。
信長包囲網と謙信の役割
当時、足利義昭は信長包囲網を活発化させ、上杉謙信や松永久秀らを動かしていた。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも描かれたように、羽柴秀吉の勝手な退却や松永久秀の謀反も、背後には謙信の影があった。香原氏は「謙信の存在が、信長の敵対者たちに希望を与えていた」と分析する。
もし謙信が長命だったら
謙信が長生きしていれば、信長と謙信の決戦は避けられず、その結果次第で歴史は大きく変わった可能性がある。香原氏は「謙信の軍事力は信長を凌ぐもので、もし謙信が生き延びていれば、信長の天下統一は遅れ、豊臣秀吉が政権を握る機会はなかったかもしれない」と述べている。
謙信の死は、その後の織田政権の安定化と、豊臣政権への道筋を作る決定的な出来事だった。歴史の“もしも”を考えさせるエピソードである。



