旧満州(中国東北部)で終戦を迎えた後も中国にとどまって働く「留用」を求められた日本人女性がいる。女性は国共内戦に敗れた国民党政権とともに台湾にわたり、その後定住した。長年、日本での生活を望んできたが、いまだ実現できずにいる。
「もう話すことはできなくなってしまった。私が話しかけても、理解しているのかどうかは分からない」。台北市近郊、新北市に暮らす郭至悳さん(66)は、ベッドに横たわる母、山口ハツエさん(98)の状態をこう説明する。目を開けることもあるが、声をかけても反応はない。
脳卒中で意思疎通困難に
郭さんによると、中国語も日本語も話すことができた山口さんだったが、2025年3月に脳卒中を発症。それから、意思疎通が難しい状態が続く。
山口さんは、日本の戸籍があり、日本のパスポートも所持する日本国民だ。同時に「谷東初」として、台湾のパスポートや身分証も持っている。
戦後混乱の中での足跡
山口さんが置かれた複雑な立場の背景には、戦後の混乱に巻き込まれた激動の歩みがある。郭さんへの取材や資料などから分かっている山口さんの足跡はこうだ。
1927(昭和2)年、佐賀県に生まれた山口さんは、16歳ごろに旧満州の撫順にわたり、南満州鉄道(満鉄)が運営する看護師の養成所に入った。当時、日本政府が国策として満州移住を推進しており、山口さんは卒業後も満鉄が運営する病院で看護師として勤務した。卒業の翌年、終戦を迎えた。



