2026年6月にプレジデントオンラインで反響を呼んだ人気記事ベスト3の第2位は、富裕層のクルマ選びに迫るコラムだ。価値共創プロデューサーでディープルート代表取締役の西田理一郎氏が、真の富裕層がフェラーリではなくマクラーレンに乗る理由を分析。その消費哲学は、1980年代から90年代の日本の走り屋文化と重なるという。
表参道で見た光景
ある土曜の午後、東京・表参道の交差点。信号待ちの車列に赤いフェラーリ2台、黄色いランボルギーニ1台が並び、V8やV12のエンジン音がケヤキ並木を揺らす。歩道の若いカップルがスマートフォンを構える。しかし、その2台後ろに空気を纏うようなボディラインの車がいた。深いアントラシートのマクラーレンだ。横断歩道を渡りかけた男性はフェラーリには目もくれず、その車の前で足を止め、しばらく動かなかった。
西田氏は「フェラーリでもランボルギーニでもなく、マクラーレンを選ぶ。この選択には単なるスーパーカー好きでは片付けられない、富裕層特有の消費哲学が隠されている」と指摘する。
スペック比較に興味がない富裕層
スーパーカー界には独特の比較文化がある。例えば、マクラーレン・アルトゥーラ(クーペ)はシステム最高出力700PS(2025年マイナーチェンジ後)、0-100km/h加速3.0秒、価格3440万円~。フェラーリ296 GTBは830PS、2.9秒、3939万円~。ランボルギーニ・テメラリオは920PS、2.7秒、約4207万円~。数字を並べて「どちらが速いか」「コスパがいいか」を議論するのがファンの楽しみ方だ。
しかし、西田氏がマクラーレンのオーナーたちと接するうちに気づいたのは、彼らにスペックの話を振ると「馬力がいくつかって?すみません、正確に覚えてないんですよ」と困ったように笑うこと。これは謙遜ではなく、本当に覚えていないのだという。
見られることより理解されること
フェラーリやランボルギーニのオーナーは「わかりやすい成功者」であることが多く、派手な時計やオーダーメイドのジャケットで「見られること」を楽しむ。一方、マクラーレンのシートに座るのは、パタゴニアのフリースにジーンズ、スニーカーというシンプルな装い。サングラスはしていても、見られることに興味がない。正確に言えば、「見られること」と「理解されること」は別の概念だと知っているのだ。
西田氏は「彼らはカタログの数字比較には興味がない。何を基準に選んでいるのか。それは『走り屋文化』の黄金期を生きた日本の中高年の哲学と重なる」と分析する。
ポルシェ911からのステップアップ
マクラーレンを選ぶ富裕層は、しばしばポルシェ911からのステップアップ組だ。ポルシェは「運転する喜び」を重視するブランドであり、その延長線上にマクラーレンがある。マクラーレンは派手さより、走行性能や空力デザイン、エンジニアリングの哲学を追求する。例えば、マクラーレン・アルトゥーラはV6ツインターボと電気モーターのプラグインハイブリッドで、システム最高出力700PSを発生。0-100km/h加速3.0秒という性能を持ちながら、価格は3440万円~とフェラーリやランボルギーニより手頃だ。
3億9000万円が発表前に完売
西田氏は、マクラーレンの限定モデルが発表前に完売する事例を紹介する。例えば、マクラーレン・スピードテイルは価格3億9000万円(税込)で、発表前に全106台が完売した。これは、富裕層が単なるスペックやブランドではなく、クルマに込められた「物語」や「哲学」を評価している証拠だという。
「『一目でわかる富の象徴』を誇示する時代は変わりつつある。本物を知る富裕層は、自己主張しないクルマを選ぶ。それは、1980年代から90年代の日本の走り屋が、派手なエアロパーツよりシャシーのセッティングを重視したのと似ている」と西田氏は語る。
物語を求めるのは富裕層だけではない
西田氏は、この消費哲学は富裕層だけのものではないと指摘する。一般の消費者も、製品に込められたストーリーや価値観に共感して購入する傾向が強まっている。マクラーレンの例は、モノ消費からコト消費へ、さらに意味消費へとシフトする現代の消費行動を象徴している。
「表参道の交差点で、フェラーリに見向きもしなかった男性がマクラーレンに足を止めた。それは、そのクルマが放つ『何か』を感じ取ったからだ。富裕層はその『何か』を理解している」と西田氏は締めくくっている。



