お笑いコンビ「豪快キャプテン」のべーやんさん(1994年10月2日生まれ、広島市出身、NSC大阪36期)と山下ギャンブルゴリラさん(1988年7月16日生まれ、神戸市出身、NSC大阪35期)は、2019年にコンビを結成し、M-1グランプリ2025のファイナリストとなった。東京ガーデンシアターで行われたインタビューで、2人は芸人を志したきっかけや、数々の決断の背景を語った。
証券マンからお笑い芸人の道へ
山下ギャンブルゴリラさん(以下、山下)は、地元兵庫で昼間から漫才番組を放送していた影響で、保育園の頃から「漫才って面白いな」と感じていた。中田カウス・ボタン、オール阪神・巨人、大木こだま・ひびき、トミーズなどの漫才をよく見ていたという。
一方、べーやんさん(以下、べーやん)は広島出身で、地元では漫才番組はなかったが、志村けんが好きで『バカ殿様』を見て「志村さんになりたい」と思ったのが始まりだった。
山下は大学卒業後、証券会社に就職。家族が喜んだこともあり、一旦は働き、自分で貯めたお金でNSCに入ろうと考えた。べーやんは中学生の頃からお笑いの世界に入りたいと思い、工業高校に進学したが資格試験に合格できず、高校卒業後にNSCに入った。
周囲の反応と葛藤
山下の父親は自営業で、「せっかくボーナスがもらえる会社に入ったのに、芸人なんてオレといっしょや」と怒った。山下自身も、平日の昼間に飛び込み営業で高齢者から同情で買ってもらうことに心が痛み、迷いを感じていた。
べーやんは高校の進路相談で「芸人になりたい」と伝えたところ、担任の先生に驚かれ、父親に話すように促された。父親は軽く反対したが、根負けして許してもらえたという。
コンビ結成の経緯
2人はそれぞれ別のコンビを組んでいたが、解散時期が近かった。山下の同期から「セントビンセント(べーやんの前のコンビ)が解散した」と聞き、ユニットを組んだ。山下は30歳で、もう一度頑張ってダメなら辞めようと思っていた。べーやんが後日「コンビを組んでください」と申し出た。
山下は劇場メンバーだったが、べーやんは無名で「天と地ほどの格差」があったという。べーやんは「ラッキーやと思いました」と振り返る。
辞めようと思った時期
コンビ結成後、べーやんがネタ合わせで「彼女との間に子どもができました」と報告。劇場メンバーでもなく、コロナ禍で仕事もなかったため、山下は「辞めるんやな」と覚悟したが、べーやんは「辞めたくない」と続けた。山下はエアコン掃除のバイトでお笑い以上に稼いでいたが、べーやんの彼女の親が「どうやって両立するの」と前向きだったため、続ける決意をした。
ネタ作りと賞レース
ネタ作りは、テーマを決めて2人で適当に喋り、録音して膨らませるスタイル。ネタ帳は使わず、楽屋での会話のような自然な感じを大切にしている。賞レースでは「これしかない」という状態で臨むが、どのネタもどこか悪いところがあるという。
山下は、以前は喫茶店でノートにネタを書いていたが、面倒に感じていた。新ネタライブが迫ったある日、ネタができずに「タバコで適当に喋ろう」と出たところ、それが大ウケ。そのタバコのネタで大阪の賞レース決勝に進み、M-1で初めて準決勝に行ったのも同じネタだった。
賞レースへの思い
山下は「賞レースで結果を出さないとどうしようもない」と語る。YouTubeなどはやっておらず、賞レースに頼っているという。べーやんは「普段味わえないピリつきがあり、刺激が欲しい」と話す。
M-1決勝進出により、大阪でレギュラー番組ができ、東京のテレビにも呼ばれ、金銭的にも余裕が生まれた。優勝すればさらに選択肢が広がると期待し、ミルクボーイのように大阪で頑張るのも、東京で活躍するのも良いと考える。
べーやんは「みんなに知ってもらえる存在になりたい」と目標を掲げる。
今後の展望
山下は「漫才はずっとしていきたい。さんまさんのように70歳を超えてもテレビに出る人は少ないが、漫才なら師匠がトリで爆笑をとる。おじいちゃんになっても漫才できるように頑張りたい」と語る。べーやんは「格好良い漫才師になりたい」と締めくくった。



