立川志らくがヒカルに高座名「立川さぎ志」を与えた真意:落語の未来と「業」の肯定
立川志らくがヒカルに高座名を与えた真意

立川志らくがYouTuberのヒカルに高座名「立川さぎ志」を与え、落語に挑戦させていることについて、一部から批判の声が上がっている。しかし、作家でお笑い評論家のラリー遠田氏は、こうした批判は筋違いだと指摘する。志らくの師匠である立川談志は、落語の未来に強い危機感を抱いており、1965年出版の『現代落語論』でも、落語が時代遅れの伝統芸能になることを危惧していた。談志は落語立川流を立ち上げ、専業落語家が所属する「Aコース」とは別に、彼が認めた著名人が所属する「Bコース」を設けた。そこにはビートたけし、高田文夫、山本晋也らが加わり、当時マスコミでも大きく取り上げられ話題となった。志らくがヒカルに高座名を与えて落語をやらせるのも、この師匠の方針を受け継いだものと言える。

ヒカルのしゃべりの力に着目

重要なのは、志らくがヒカルの人気だけを評価しているわけではないという点だ。志らくは、ヒカルのしゃべりの力、言葉の力、人を惹きつける力に強い関心を示している。ヒカルはテレビタレントのように万人に広く支持されてきた人物ではない。むしろ、敵を作り、反発を浴び、批判されながら、それでも大量の視聴者を惹きつけてきた人物である。志らくは彼のやってきたことを単なる炎上商法だとは考えておらず、芸人としての可能性を見出している。

「業」を隠さない存在としてのヒカル

全員に好かれる人間ではなく、好き嫌いが激しく分かれる人間。味方も敵も作る人間。場を荒らし、空気を変え、世間をざわつかせる人間。志らくがヒカルに見ているのは、そういう意味での「人間らしさ」である。志らくの師匠である立川談志は「落語は人間の業の肯定である」と語っていた。落語の登場人物は立派な人間ばかりではない。ずるい人間、見栄を張る人間、欲に負ける人間、失敗を繰り返す人間など、どうしようもないがどこか憎めない人間が物語の中心にいる。そこに人間の滑稽さがある。

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志らくがヒカルに一目置いているのは、ヒカルこそがまさにそのような「業」を隠さない存在だからではないか。金、成功、承認欲求、虚栄、攻撃性、負けん気。ヒカルはそれらを隠すのではなく、むしろ前面に出してきた。その生々しさは落語的な人間観にも通じるものがある。

若手落語家への発破

志らくは、ヒカルに反発する若手落語家に対しても発破をかけている。伝統に固執するだけでは落語の未来はないという危機感がそこにはある。談志がBコースを設けたのも、外部の異物を取り入れることで落語に新たな風を吹き込むためだった。志らくも同じ発想で、ヒカルという異物を受け入れることで、落語界に刺激を与えようとしているのだ。

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