ミスコン準優勝の彼女が語る“リベンジ失敗”と挫折 就活への影響
ミスコン準優勝の彼女が語るリベンジ失敗と挫折

2013年のミス青山コンテストで準グランプリに輝き、現在は一般企業で会社員として働く中山柚希さん。テレビ局・裏方志望だった彼女が、フレキャン出場からミス青山でのリベンジ失敗までを振り返り、感じた挫折と就活への影響を赤裸々に語った。

フレキャン出場のきっかけは新聞部の先輩の勧め

フレッシュキャンパスコンテスト(通称:フレキャン)は、全国の大学1年生を対象にした全国規模のミスコン。数回の予選を勝ち抜いた候補者からファイナリストが選ばれ、そのファイナリストのなかからグランプリが決定する。中山さんがフレキャンを知ったのは、新聞部の先輩から勧められたことがきっかけだった。

メディアの裏方志望だった中山さんは、もともと自分が表に立つ活動には興味がなかった。しかし、最終的に出場を決めたのには明確な理由があった。

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「当時のフレキャンはテレビ朝日が主催していて、ファイナリストになれば地上波の番組に出演できたんです。テレビ出演自体に興味はなかったんですが、テレビ局に行って番組制作の裏側を知ることは、絶対に自分の進路にプラスになると思って出場を決めました」

一学生がテレビ局に入れるチャンスはそう多くない。当時はSNSも今ほど発達しておらず、テレビ番組がどうやって制作されているのかといった情報も一般には公開されていなかった。ゆえに、メディア志望の中山さんにとってフレキャンは大きなチャンスだった。

ファイナリストに選出され、テレビ出演権を獲得

フレキャンに出場した中山さんは、数百人規模のライバルたちとの競争を勝ち残り、見事ファイナリストに選出。最終的にはグランプリにはなれなかったものの、当初の目的どおりテレビ出演権を勝ち取り、テレビ番組について深く知る機会を得た。

念願のテレビ出演を果たし、「メディア業界で働くこと」の解像度を高めた中山さん。しかし、コンテスト終了から時間が経つにつれて、徐々にある感情が大きくなっていることに気づいた。

「一言で言えば、グランプリを獲れなかった悔しさですね」

最初はテレビ局に行くために出場を決めたフレキャンだが、決勝に残るための努力を積み重ねる過程で、知らず知らずのうちにコンテストへの熱量も高くなっていた。そしてコンテスト後は、その熱量が悔しさに変わっていった。

負けず嫌いが生んだミス青山へのリベンジ

負けず嫌いな性格の中山さんは、ミス青山学院でリベンジすることを決意した。

「もともと、負けず嫌いな性格なので、『グランプリになれなかったまま終わるのは嫌だな』って。『何かリベンジのチャンスがないかな』って考えて、『ミス青山でグランプリを獲れば、フレキャンのリベンジになるかも』と思ったんです」

当時はミスコン出場者のメディア露出が今以上に多い時代。そのなかでもミス青山は人気、知名度、注目度ともに、大学ミスコン界では群を抜いていた。ゆえに、ミス青山でグランプリを獲れれば、フレキャンのリベンジとしては十分だろう。

1年間の修行期間で発信力を磨く

ミス青山には毎年数百人規模のエントリーがあり、ファイナリストに残るだけでも難しい。いくらフレキャンでファイナリストになった中山さんでも、苦戦は必至だった。

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「フレキャンの経験から、『今の自分じゃミス青山には受からない』と思っていました。なので、2年生の1年間を修行期間に充てて、3年生で応募する計画を立てました」

1年間の修行期間で、中山さんはあらゆる角度から自分磨きを行った。特に注力したのが発信力だ。フレキャンでは自己PRやスピーチなど、ことあるごとに「自分の魅力を発信すること」が求められてきたが、その度に実力不足を痛感していたという。

「フレキャンに出るまでは自分の魅力を誰かに伝えた経験はまったくなかったですし、そもそも人前で堂々と話すことも全然自信がなくて。『そんな自分じゃミス青山には受からない』と思って、発信力向上のためにアナウンススクールに通いました」

アナウンススクールにはアナウンサーを志望する学生が通うのが一般的だが、中山さんは「アナウンサーになりたいわけではない」と語る。他の生徒からすれば不思議な存在だったに違いない。

「今振り返ると、『アナウンサーに興味はなくて、ミスコンに出るために通っています』って話をするたびに、同期生や講師の先生方からは変な目で見られていたかもしれないですね(笑)」

だが、アナウンススクールに通ったおかげで、中山さんの発信力はみるみる向上。わずか1年の間で見違えるほどの成長を遂げ、3年生になったタイミングで満を持してミス青山に応募した。