北村匠海が主演を務めるフジテレビ系ドラマ『サバ缶、宇宙へ行く』(毎週月曜21:00~、FOD・TVerで見逃し配信)の最終話が22日に放送された。本作は、海辺の町で教師になるというなんとなくの動機で田舎町の水産高校に赴任した新米教師が、同じくなんとなく日々を過ごす生徒たちと出会い、高校自慢のサバ缶を宇宙食にする夢に挑む実話ベースの青春学園ドラマである。
サバ缶、宇宙へ到達。しかし物語の本質は別にあった
最終話では、サバ缶が無事に宇宙へ運ばれ、宇宙飛行士の口へと届く。種子島でのロケット打ち上げを見守るはずが、思わぬアクシデントでその瞬間に立ち会えないという小さな波乱はあったものの、夢はかなった。プロジェクトに関わった生徒、教師、地域の人々がその瞬間を見守り、喜びを分かち合うハッピーエンドが丁寧に描かれた。
しかし、このハッピーエンドを見届けながら、筆者はあることに気付かされた。これまで本作を見ながら、どれだけ泥臭いことを描いていても「宇宙」という夢を掲げているから成立しているのだろうと考えていた。サバ缶を作る、工程を精査する、粘度を測る、柔らかさを調整する、保存検査をする――やっていることは驚くほど地道だが、その先に宇宙があるからこそ、すべてがロマンに変換される。そう思っていたのである。
最終回で覆された「宇宙」というフィルターへの依存
しかし最終回で描かれた、宇宙飛行士がサバ缶を口にするシーンを見て、その考えが違っていたことに気付いた。プロジェクトの試行錯誤の行き着く先として描かれたのは、「おいしい」のか否かという極めてシンプルな問いだった。宇宙で飛び散らない粘度があるか、スプーンで食べられる柔らかさがあるか、そして何よりおいしいのか――。その一つひとつを確認する様子は、宇宙という壮大な空間で行われているにもかかわらず、どこまでも地に足が着いていた。むしろ、本作が描いてきた泥臭さの極致とも言える着地点だった。
その瞬間に理解した。このドラマが描いていたのは、宇宙という特別な夢ではなかった。何かを実現したいと思うこと、うまくいかない日々を重ねること、試行錯誤を繰り返すこと、そして少しずつ前へ進んでいくこと――その当たり前の過程そのものが、実は尊く、ロマンに満ちているのだということだった。今回は舞台が宇宙だったからこそ多くの人の心を惹きつけたが、本質はそこではない。夢を追いかけること自体が尊いのだという、あまりにも当たり前で、だからこそ今の時代には少し気恥ずかしくもある価値観を、本作は「宇宙」というフィルターを通して真正面から描き切ったのである。
連続ドラマだからこそ描けた「夢の継承」
今作は、その夢が決して一人のものではないことも描き続けた。1期生から5期生へ、生徒から生徒へと夢は受け継がれ、教師や地域の人々が温かく見守り続けた。誰かが途中で去り、誰かが諦め、それでも夢だけは残り続ける。その積み重ねの果てに、ようやく宇宙へとたどり着いたのである。これは単なる青春ドラマでも成功譚でもなく、連続ドラマという長い時間を使わなければ描けない「夢の継承」の物語だった。
個人的に最も心を動かされたのは、ラストの後日談だった。2期生時代に描かれた甘酸っぱい三角関係に決着がつき、長らく片思いを続けてきた実桜(足川結珠)の思いが報われた瞬間には、思わず頬が緩んだ。このドラマを通して、「サバ缶を宇宙へ!」という壮大なロマンを見ていたつもりで、その実、生徒たちのきらめくような青春の時間も同じように楽しませてもらっていたのである。
夢を語ることが照れくさい時代に、まっすぐ夢を描いた作品
夢を追うことも尊い。青春を謳歌することも尊い。それは学生だけの特権ではなく、大人になってから振り返ってもやはり美しいものなのだと、このドラマは改めて思い出させてくれた。夢を語ることが照れくさくなってしまったこの時代に、夢をまっすぐ語り続け、その夢を支える日々の積み重ねの美しさを描き切った今作。最後の最後まで、実に「心が洗われる」作品だったことは間違いない。
(文:大石庸平/「テレビ視聴しつ」室長)



