作家の和田竜氏は、石田三成が「極悪非道な謀反人」として語られるのは、徳川幕府による意図的な誹謗中傷の結果だと指摘する。関ヶ原の戦いを起こした三成を悪人とすることで、豊臣政権からの政権奪取を正当化したという。
江戸時代に定着した三成悪人説は、明治維新後も覆されることなく、現在に至るまでそのイメージが残っている。和田氏は『のぼうの城』執筆のため歴史資料を精読したが、その多くが「三成の何たる馬鹿なことよ」といったトーンで一致していたと述べている。
忍城攻めと三成の実像
石田三成は、現在の埼玉県行田市にあった武州・忍城を、豊臣秀吉の命を受けて約2万の大軍で攻めた。この攻城戦は、三成の軍事指揮能力を評価する上で重要なエピソードとされる。
和田氏は、三成を単なる悪人ではなく、孤高の理想主義者として捉え直すべきだと主張する。三成の行動や政策は、理想を追求するあまり、周囲との摩擦を生んだ可能性があるという。



