アジア人女性初の宇宙飛行士として知られる向井千秋さん(74)が、30代の苦悩や「子どもを持たなかった理由」について語った。向井さんは1985年、33歳で宇宙飛行士の選抜試験に合格したが、実際に宇宙に行けたのは1994年、42歳のときだった。9年間の長い助走期間を経て、ようやく宇宙への切符を手にしたのだ。
チャレンジャー号事故と先輩の死
向井さんの人生を大きく変えたのは、1986年1月28日に発生したスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故だった。打ち上げから73秒後、機体が空中分解し、乗員7名全員が死亡した。その中には日系人初の宇宙飛行士であるエリソン・ショージ・オニヅカ氏も含まれていた。
「膝がガクガクしたのを覚えています。チャレンジャー号にはオニヅカさんが乗っていたので……」と向井さんは当時を振り返る。オニヅカ氏は、宇宙飛行士の最終選抜時にNASAを訪れた際、向井さんを含む7名を励ました心強い先輩だった。
「スペースシャトルは、アメリカが誇る最先端の科学技術の結晶だった。それが落ちるなんて、当時の私は夢にも思わなかった。人間は科学技術で環境を、社会をどんどん変えられるって信じていたから……」
宇宙飛行士“以前”の向井千秋の30代
1980年代、科学技術が豊かな未来をもたらすと信じられていた時代。向井さんは1985年に33歳で宇宙飛行士の選抜試験に合格したが、実際に宇宙に行けたのは1994年、42歳のときだった。30代は彼女にとって、宇宙へ飛び立つまでの長い助走期間にあたる。
「とんでもない! 当時は毎日が楽しくて、次の日が待ち遠しかったんです」と向井さんは笑顔で語る。現在74歳の向井さんは、東京理科大学の特任副学長を務めながら「月に住むための研究」をしている。
幼いころから何にでも興味を持つ子どもだった向井さんは、体力勝負でも男性に引けを取らず、大学時代はスキーの大会で優勝。医師になってからは専門領域として心臓外科を選び、故石原裕次郎氏の担当医になったこともある。
「だんご3兄弟」宇宙飛行士たちの挑戦
向井さんは、同じく宇宙飛行士となった毛利衛さん、土井隆雄さんとともに「だんご3兄弟」と呼ばれ、互いに切磋琢磨しながら訓練に励んだ。大変な日々だったが、「自分のためだから」と向井さんは語る。
「科学は完璧じゃない。それでも宇宙へ行くんだ」という強い意志を持ち続けた。
宇宙飛行士を「職業」にするために
向井さんは、宇宙飛行士を単なる「夢の職業」ではなく、一つの「職業」として確立させるために尽力した。40代でつかんだ宇宙への切符は、長年の努力と信念の結晶だった。
向井千秋が子どもを持たなかった理由
向井さんは、子どもを持たなかった理由について「人生は無限の道から自分で選ぶもの」と語る。宇宙飛行士という過酷なキャリアを選んだことで、家庭生活や子育てとの両立は難しかったと明かす。
「人生は図書館のようなもの。自分が読む本を選ぶように、生き方を選ぶんだ」と向井さんはたとえる。周囲の人を自分の「写し鏡」にして、自分自身を見つめ直すことも大切だと語る。
150歳への助走
現在74歳の向井さんは、今後も研究を続け、150歳まで生きることを目標に掲げている。「まだまだやることはたくさんある」と笑う向井さんは、宇宙への情熱を今も持ち続けている。



