浅草の伝説的ラーメン店「來々軒」が電撃復活 玄孫が創業当時の味を再現
淺草來々軒が電撃復活 玄孫が創業当時の味再現

日本最初期のラーメン店として知られる「淺草來々軒」が、創業者の玄孫・高橋さんの手によって淺草に電撃復活を遂げた。これまで新橫浜ラーメン博物館(ラー博)でのみ営業していたが、同施設での営業終了を機に、実店舗での復活を決意。92歳の祖父・高橋邦夫さんの悲願でもあった「淺草での復活」を実現した。

「お店がないと文化は残らない」

高橋さんは、ラー博での営業終了が決まった頃、ラーメンライターの井手隊長から相談を受けた。來々軒はラーメン史の年表に必ず記される存在であり、その火を絶やしてはいけないという思いから、復活に協力してくれる人々を紹介した。すると誰もが「やっぱりお店がないとダメだよ」と口を揃えた。高橋さん自身もその言葉を痛感し、「だんだん覚悟が固まっていったんです。やっぱり店を作るしかないなって」と振り返る。

祖父の悲願と運命的な物件

もう一つの大きな理由は、祖父・邦夫さんの存在だった。創業者の孫にあたる邦夫さんは長年にわたり「いつか來々軒を淺草で復活させてほしい」と語り続けてきた。現在92歳の邦夫さんに対し、高橋さんは「祖父が元気なうちに淺草で絶対に復活させなくてはという思いがどんどん大きくなっていきました。後悔したくなかったんです」と語る。周囲からは淺草の家賃の高さや観光地での競争の激しさを理由に反対もあったが、高橋さんの考えは変わらなかった。「お店がはやるかはやらないかはもちろん大事です。でも、おじいちゃんの悲願を叶えるという目的があったので」と述べている。

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物件探しを始めて間もなく、運命的な出会いが訪れる。見つかった物件は、創業者・尾崎貫一氏が眠る墓所のすぐ近くだった。「見つけた瞬間、これは運命だと思いました」と高橋さん。偶然とは思えず、來々軒自身が帰る場所を示してくれたかのようだったと振り返る。

ゼロからの挑戦:味の再現とこだわり

高橋さんは飲食業界の出身ではなく、本業はエンターテインメント業界。「ラーメン屋を出すなんて初めてですから」と語る通り、物件取得、設備工事、仕入れ、人材採用、メニュー開発、備品選びなど、数え切れないほどの決断が待っていた。「これほどまでに壁があるのかと途方に暮れました。500個とか1000個とか、本当に一つずつ埋めていく感じでした」と打ち明ける。そんな中、高橋さんが最後まで守ったのは「自分で決める」という姿勢だった。「人に任せてお金だけ出すようなやり方はしたくなかったんです。自分で納得して、自分で責任を取れる形にしたかった」と語る。

今回の復活で最も興味深いのは、味作りへのアプローチだ。多くの人は「昔ながらのあっさり醤油ラーメン」を想像するかもしれないが、高橋さんは創業当時の味を目指した。調査を進める中で、來々軒の味が大正、昭和へ進むにつれて徐々に変化していた事実が判明。創業當時の來々軒は、豚の香りと醤油感を色濃く残した、やや濃いめの一杯だった可能性が高いという仮説のもと、現代の技術を融合して再現した。看板メニューは「百年醤油らうめん」で、天津丼発祥の店としても知られている。

淺草の新たなラーメン文化の発信地に

高橋さんは、來々軒の看板だけを貸すのではなく、自らが納得してすべてを決め、歴史を背負う覚悟だ。淺草での復活は、祖父の悲願を叶えるとともに、ラーメン史における重要な文化遺産を後世に伝える役割も担う。今後は、創業當時の味を提供しながら、淺草の新たなラーメン文化の発信地として親しまれることが期待される。

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