浅草の伝説「來々軒」が帰ってきた
日本最初期のラーメン店として知られる「浅草來々軒」が、約半世紀ぶりに復活した。1910年(明治43年)に創業した同店は、醤油ラーメンの原型を作り、「〇〇軒」という屋号文化を広めた存在として知られる。復活を果たしたのは創業者・尾崎貫一氏の玄孫にあたる高橋さん。文献のみを手がかりに、当時の味を現代に蘇らせた。
醤油ラーメンの誕生秘話
明治43年の創業当時、南京そばは豚の臭みが強く日本人には受け入れられにくかった。創業者の尾崎貫一氏は、そこに醤油を加えることで豚の風味を包み込み、日本人向けに改良した。高橋さんは「実際に再現してみたら、なるほどこういうことだったのかと思いました」と振り返る。
復活した看板メニュー「百年醤油らうめん」は、当時の來々軒が淡麗な東京ラーメンではなく、豚の香りと醤油感を濃く残した濃いめの一杯だった可能性を基に再構築された。ラー博(新横浜ラーメン博物館)の調査で特定された小麦粉「さとのそら」を使用した麺、創業時から関係の深いヤマサ醤油、豚・鶏・野菜の清湯スープ、広東風の赤チャーシュー、丸松物産のメンマなど、史実と現代技術を融合させた。
天津丼発祥の店としての復活
來々軒はラーメンだけでなく、「天津丼」発祥の店としても知られる。諸説あるが、客の「早く食べられる料理を」という要望に応え、カニ玉をご飯に乗せて提供したのが始まりとされる。今回の復活では、この天津丼にも強いこだわりが込められた。文献には「カニ玉」とあるため、カニカマではなく本物のカニのほぐし身を使用。利益を考えれば合理的ではないが、歴史への敬意を優先した。
復活を支えた多くの協力者
復活は高橋さん一人の力ではない。新横浜ラーメン博物館、支那そばや、当時のどんぶりを作った小松屋、ヤマサ醤油、丸松物産、サッポロビール、そして浅草の人々が手を差し伸べた。町内会への挨拶では「来年は三社祭でみこしを担いでね」と歓迎されたという。創業から116年、半世紀の空白があっても、來々軒の名前は浅草の記憶から消えていなかった。
ラーメン文化を未来へつなぐ
高橋さんは子どもの頃、自分が來々軒創業者の末裔であることを詳しく知らず、「うちはラーメン屋だったらしいね、くらいでした」と語る。しかし調べるほどその存在の大きさに気づき、日本のラーメン文化の原点かもしれないと思うようになった。だからこそ、看板だけで評価される店にはしたくないと、「まずはちゃんと美味しいと言ってもらえる店になること。それが大前提です」と強調する。
その先にあるのは、來々軒という名前を残すことではなく、ラーメン文化そのものを未来へつなぐことだ。「一人でも多くの方に、この一杯を通してラーメンや町中華の文化に思いをはせてもらえたらうれしいですね」と高橋さん。1910年に始まった一杯は、戦争による閉店、戦後の再出発、50年の沈黙を経て再び浅草へ帰ってきた。祖父の願いから始まった復活劇は、今度は次の100年へ向かって歩き始めている。



