夏目漱石の小説「坊っちゃん」発表120周年を記念した特別企画展「漱石と松山―愚陀佛庵(ぐだぶつあん)から『坊っちゃん』へ―」が、松山市立子規記念博物館で開催中だ。漱石の歩みを物語る約90点の資料を通して、「坊っちゃん」誕生の背景にある松山と漱石とのつながりを紹介している。
漱石と子規の親交を示す資料
会場には、正岡子規との深い親交をうかがわせる資料が並ぶ。学生時代、文章論をやりとりした書簡はその一つ。言葉の表現を重視する子規に対し、漱石は「Ideaガ最初ニナケレバwordsノarrangementハ何ノ役ニモ立ヌナリ 是(これ)ヨリbest文章ヲ解セン」とつづる。理念を大切にして書くことを強調しているという。
漱石が創作活動に踏み出したのは、教師として赴任した松山の下宿「愚陀佛庵」からだった。子規と暮らしながら俳句に熱中し、子規が東京へ旅立った後も句稿を送った。子規が句稿を紛失したらしく、「今度のはなくしてハいやであります。悪句には△か□の符合をつけ玉へ」と添削を依頼した書簡を紹介している。
子規が漱石に送った最後の書簡もある。英国留学中の漱石が書いた「倫敦(ロンドン)消息」を「近来僕ヲ喜バセタ者ノ随一ダ」と絶賛し、もう一度送ってほしいと催促する。だが、子規の死去で漱石はその願いをかなえられなかった。
「坊っちゃん」誕生の背景
漱石は1906年、松山出身の編集者・高浜虚子に勧められ、「坊っちゃん」を発表する。松山で過ごした1年間が小説の下敷きになったとされる。虚子宛て書簡で漱石は、「松山だか何だ分らない言葉が多いので閉口、どうぞ一読の上御修正を願たい」と記し、方言の修正を求めたことがわかる。小説で中学の生徒が「あまり早くてわからんけれ、もちっと、ゆるゆるやって、おくれんかな、もし」と、主人公(坊っちゃん)にお願いする描写があり、虚子が修正を加えたとしている。
また、漱石は東京帝国大講師などを掛け持ちしながら執筆活動を行っており、「やめたきは教師、やりたきは創作」とぐちをこぼした書簡も見られる。
学芸員の見解と開催情報
小泉柚乃学芸員は「漱石は俳句創作を通して、ありのままに書く写生文を学んだ。小説家漱石の誕生には、松山時代から続く俳句や子規との友情などが大きく関係している」と語った。
31日まで。個人500円、団体400円、高校生以下無料など。



