美術館では静かに作品を見るもの――。そんなイメージが少しずつ変わってきています。会話を楽しんだり、写真を撮ったりしながら鑑賞する試みが広がる一方、静かな空間で作品と向き合いたいという声もあります。芸術の秋に、美術の楽しみ方の現在を考えます。
「トークフリーデー」で会話しながら鑑賞
「本日、トークフリーデーでございます」。東京都千代田区の三菱一号館美術館で8月31日、出入り口付近に立ったスタッフが通行者に声を掛けていました。「トークフリーデー」は、作品について声の大きさを気にせずに会話しながら鑑賞できるイベントで、毎月最終月曜日に開いています。
美術館は、展示を静かに鑑賞する場所という印象が強いですが、以前から同館には「感想を話しながら鑑賞できればより楽しくなる」「小さな子どもを連れて気兼ねなく鑑賞したい」といった声が寄せられていたといいます。そこで「これまで足を運びにくかった人にも気軽に来てほしい」と、2017年にトークフリーデーを試行的に開始。コロナ禍で一時中断したものの、現在まで継続しています。
同館を訪れた60歳代の女性は、過去に友人と美術館巡りをしていた際に、おしゃべりをしていると「声を抑えてください」と注意を受けたことがあると明かします。「作品の時代背景などを会話しながら見ることで展示が記憶に残りやすいのに残念だった」と振り返り、「トークフリーデーのようなイベントが増えれば、リラックスして鑑賞できる」と歓迎しました。
三菱一号館美術館の後藤夕紀子副主査は「視覚障害がある方など、会話しながらでしか展示を鑑賞できない人もいる。多くの人が共生しながら楽しめるように、いろいろな鑑賞方法があることを伝えていきたい」と話します。
写真撮影の広がりとSNS共有
同様の試みは各地で広がっています。東京都台東区の国立西洋美術館は常設展で不定期に「おしゃべりOK!」の日を設けているほか、東京都町田市の市立国際版画美術館は週2回、茨城県笠間市の県陶芸美術館は毎日、自由に会話を楽しみながら鑑賞できる機会をつくっています。
写真を撮って見返すことも美術展の楽しみ方の一つ。従来は著作権などの問題から写真撮影が禁止されていましたが、現在は可能な展覧会が増えています。東京都現代美術館が2010年に開いた「こどものにわ」展では、撮影に加えて、条件付きでブログなどでの共有も可能としました。担当したキュレーターの難波祐子さんは「広報予算が限られる中で、集客にも高い効果があった」と振り返ります。
現在では、撮影した写真をSNSで共有する来館者も多いといいます。森美術館(東京都港区)で現在開催中の「ロン・ミュエク」展ではインスタグラムへの写真投稿キャンペーンを実施するなど、新たな鑑賞方法として広がっています。
静寂を守る美術館の取り組み
一方で、静かな環境を重視する美術館もあります。岡山県倉敷市の大原美術館では、撮影禁止の理由をホームページで説明しています。かつて館内での自由な写真撮影を認めたことがありましたが、エル・グレコやモネの人気作品の前で団体の記念写真撮影会が始まってしまったことが理由で、取りやめとなったそうです。認めた時期は1990年代以前とみられますが、観光スポットということもあり、すぐに混乱が生じて禁止になったといいます。
昨年4月にすぐ近くでオープンした同館児島虎次郎記念館では、本館と比べて入場者が少ないことから、撮影を認めた上でSNSで拡散させることも呼びかけています。同館を運営する大原芸術財団の藤田文香財団本部長は「試行錯誤しながら、お客様にとって良い環境を整えていきたい」と話します。
金沢市の鈴木大拙館でも展示室内の撮影は禁止。静寂の中で思索を楽しむ来場者が数多く訪れます。鈴木大拙(1870~1966年)は国際的な仏教哲学者で、禅の思想を日本文化の象徴として世界に広めた人物です。「大拙を伝える」という基本理念で2011年に開設された同館では、来館者自らが思索することを重んじているため、大拙ゆかりの品々や年表といった定番の常設展示がありません。
その代わりに同館の顔となっているのが、緻密に計算された建築空間です。敷地の大半を占める人工池「水鏡の庭」と、方丈のような建築物「思索空間」では、あちこちで瞑想にふける人の姿が見られます。
多様な鑑賞方法の広がりと今後の展望
感覚過敏の人でも楽しめる工夫として、音や光などの刺激を和らげる取り組みも広がっています。10年代に欧米で先行して広がり、昨年の大阪・関西万博でも遮音性のある壁で囲まれた小部屋「カームダウンルーム」が話題になりました。九州国立博物館でも同様の「あんしんルーム」が常設されています。
国立アートリサーチセンターの稲庭彩和子主任研究員によると、その源流は06年に国連が採択した「障害者の権利に関する条約」だといいます。そして、国際博物館会議(ICOM)が22年、美術館を含む博物館の定義として、「誰もが利用でき、包摂的な施設で、多様性、持続可能性を育む」と明記したことが決定打になりました。稲庭主任研究員は「障害者でも子ども連れでも、美術を楽しむ機会は均等であるべきだ」と話しています。
サントリーパブリシティサービスが関東の1037人を対象に行った調査(2025年度)では、「ある程度」「非常に」「状況によって」など差はあるものの、約7割が条件付きで会話を容認する姿勢を示しました。同社は、美術館が作品の観覧場所から「対話や共有を通じて作品理解を深める場へと進化しつつある」と分析しています。
国立アートリサーチセンターの「美術館に関する意識調査」(25年度)では、美術館の魅力として「一人で静かに観られる」と答えた割合が最も高い結果を示しました。一方で20~30歳代の若者を中心に「写真が撮影できる」などを魅力として挙げる人も一定数いることが分かります。
北海道大の今村信隆教授(芸術学)は、明治初期の日本の博覧会は社交の場としての役割も持ち、喧噪に満ちていたと指摘します。名作が多く並ぶ美術展覧会が開催されるようになった大正から昭和初期にかけて、「沈黙と静寂」が求められる展示会場が増えていったそうです。熟視し、黙想し、作品の深みを味わうこと。対話し、笑い合い、コミュニケーションを含めて作品を楽しむこと。両面の議論が尽きないのは「そのどちらもが、人間にとっての根源的な欲求だからではないか」と今村教授は分析します。
美術を楽しみたいという思いは今も昔も同じ。現在の議論からも、より良い鑑賞のヒントが見えてくるかもしれません。



