桐谷健太、現在の事務所からの誘いを一度断るも翌日に直談判「昨日の俺はどうかしてました!」
桐谷健太、事務所の誘いを一度断るも翌日に直談判

俳優の桐谷健太が、11日に放送された日本テレビのバラエティ番組『メシドラ ~兼近&真之介のグルメドライブ~』(毎週日曜12:45~ ※関東ローカル)に出演。現在所属する事務所からの誘いを一度断り、翌日に「昨日の俺はどうかしてました!」と直談判したデビュー前の秘話を明かした。

5歳で芸能界を意識、高校で自作雑誌を制作

兼近大樹(EXIT)、満島真之介と埼玉県所沢市を巡った桐谷が芸能界を意識したのは5歳の時。ある映画で、自分と同年代の少年たちが冒険し、スクリーンの中で輝く姿を見て、「これが職業や」と気づいたという。映画を見終えた後は「感動と悔しさとうらやましさ、いろいろ感じすぎて」立てなくなったほどだった。

その後、中学生の頃、クラスで配られたさまざまな職業を紹介する冊子の中に「芸能界」という文字を発見。「それ見て過呼吸になってもうて」と、幼少期から抱いてきた思いが再燃した。

「このまま、この好きなことに目を逸らし続けてたら俺一生過呼吸になるわ」と決意した桐谷は、高校生になるとさらに行動を起こす。コンビニで雑誌を見ながら「なんでここに俺がおらんねん」と思い、「じゃあもう自分で作るしかないわ」と、自身だけが載った雑誌『KEN'S NON-NO』を制作。父の一眼レフカメラを使って友人に撮影してもらい、何十枚もコピーすると、校長に「3日間だけでいいですから、廊下にこれ貼らせてください」と直談判した。

許可を得て、「この『KEN'S NON-NO』見たいやつは3年7組桐谷のとこまで来い」と告知すると、下級生まで見に来る反響があったという。桐谷は当時について「まずは『目立たないと』って思ってた」と振り返った。

人生で5分だけ話した男性の一言で東京へ

高校時代には、大阪・アメリカ村を「声かけられるまで」何度も歩いていたという桐谷。やがて美容室からヘアショーのモデルに誘われ、そのステージに出演する。

そこで出会った男性に「俺絶対ビッグになります。世界取りますから」と宣言すると、返ってきたのは「ほな東京行かな」という一言だった。桐谷は「その人とは人生でその5分しかしゃべってない」といいながらも、「その人の一言で東京行こうって決めるわけ」と回想。母親から「大学は行って、それで考えたら」と勧められると、「じゃあ東京の大学に受かればええやん」と考え、東京にキャンパスのある駒澤大学に合格した。

上京後、大学で入ったテニスサークルの先輩に東京・代官山のクラブへ連れて行ってもらうと、お立ち台で約2時間踊り続けた桐谷に、ある外国人男性が「キミ本当に素敵だね」「ずっと踊ってるね」と声をかける。その男性はモデル事務所などとのつながりがあり、その紹介をきっかけに桐谷はモデル事務所や芸能事務所に所属することになった。

現在の事務所からの誘いを一度断るも、翌日に直談判

しかし、その後4~5年ほど目立った仕事はなかった。芝居のレッスンだけは続けていたある日、先生から「今すぐお前に会いたいって言ってる事務所の社長がいるんだ」「今すぐ二子玉川の高島屋行ってくれ」と電話が入る。

向かった先で待っていたのは、現在も所属する事務所の社長と、その子どもたちだった。社長から「あなたをうちの事務所にぜひ入れたい」と誘われた桐谷。しかし「今、あなたはどういう気持ち?」と聞かれると、「今の僕は誰がやっても売れません。だからお断りします」と驚きの返答をしたという。

誘いを断った桐谷に、社長は「あなた生意気ね、面白いわね。じゃあ頑張ってね」と言い、その日の話は終了した。その後、社長の息子が二子玉川駅まで送ってくれたが、改札を通った後もずっと手を振り続けていたという。その姿に、桐谷は幼い頃、別れ際に姿が見えなくなるまで手を振ってくれた祖母を重ねた。「うわ、信じられる」と心を動かされたものの、一度断った以上、そのまま帰宅した。

翌日、桐谷を社長に紹介した芝居の先生から「昨日どうだった?」と聞かれ、「丁重にお断りしました」と報告すると、先生は「おい!」「お前に5年10年あるチャンスじゃねえぞ」と驚いた。すぐに再び社長と会うことになり、先生も必死に頭を下げたが、社長は「本人がそうやって決めたことだから。私たちが何を言おうと本人がやらないって言ったことだから」と桐谷の意思を尊重した。

そして最後に「今日のあなたはどうなの」と尋ねられた瞬間、桐谷の体は無意識に動いたという。「バーンって立って、店中に響き渡る声で『昨日の俺はどうかしてました!』『芝居1回見て決めてください、お願いします!』って言って頭下げて」。後日、社長がレッスン場での発表会を見に来ることに。桐谷が芝居をやり切り、社長のほうを見ると、返ってきたのはサムズアップだった。「で、入ったのが今の事務所」。こうして桐谷はドラマ『九龍で会いましょう』で俳優デビューを果たした。

三線を始めた原点が「海の声」に

旅では、俳優としての歩み以外にも、桐谷の人生を変えた出会いが語られた。中学生の時、家族旅行で初めて沖縄・宮古島を訪れた桐谷は、飛行機から降りた瞬間に風を感じ、「『懐かしい!』ってもう細胞が感じた」と回想。そこから沖縄民謡に夢中になり、三線を独学で始めたことが、後のヒット曲「海の声」につながったという。

また、映画『火花』で共演した兼近との話題から、一時期漫才に夢中になり、自らネタを書いていたことも告白。同作で相方役を演じた三浦誠己に「1回戦敗退でもいいから『M-1やってみようや』」と誘ったことも明かした。三浦からは、芸人を辞めて俳優になった以上、芸人へのリスペクトから出場できないと断られたというが、「散々夜2人で飲んで口説いた」と振り返った。

所沢の街でグルメや買い物を楽しみながら、これまで何度も訪れた人生の分岐点を語り尽くした桐谷。「こんなに聞いてくれるんやね、優しいな(笑)」と、兼近と満島の聞きぶりに感謝していた。この放送はTVer・Huluで配信されている。

桐谷健太は、1980年2月4日生まれ、大阪府出身。2002年、ドラマ『九龍で会いましょう』で俳優デビュー。映画、ドラマ、舞台など幅広く活躍するほか、ドラムや三線を演奏し、歌手としても活動。「海の声」などの楽曲でも知られる。