宮崎市の歴史研究家、横山教生(のりお)さん(69)の自宅に、「忠愛」と書かれた額が保管されている。日本赤十字社に勤めていた横山さんの祖父・仲二(ちゅうじ)さん(1984年死去)が、原爆投下後の広島を調査で訪れた功績をたたえられ、日赤から贈られたという。原爆投下から81年を迎え、横山さんは「戦争の悲惨さを伝えている」と話している。
「忠愛」の額、調査の功績で贈られる
額には「忠愛」という字とともに、戦前に日赤の第3代総裁を務めた閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王(1865~1945年)の名前が記されている。
横山さんによると、仲二さんは警視庁や宮崎県警で警察官として勤務した後、日赤の県の支部で働くようになった。1945年8月6日に広島に原爆が投下されて間もなく、広島で暮らす宮崎県関係者の安否などを調べるため、広島へ派遣された。額は戦後、この時の功績が認められて仲二さんへ贈られたという。
祖父が語った広島の惨状
横山さんは十代後半の頃、仲二さんや父親から、遺体が路上に「ごろごろと」転がっていたことや、がれきなどで道を歩ける状況ではなかったことなど、広島の様子を聞いている。仲二さんは淡々とした様子で「街全体がなくなっていた。(宮崎県関係者の安否を)調べようがなかった」などと振り返っていたといい、横山さんは「それほど、原爆の威力がすさまじかったのだと思う」と話す。
横山さんは「祖父は被爆地という特殊な光景を見た。忠愛は人を慈しむ言葉であり、(日赤から)広島での働きぶりをねぎらわれたのだと思う。戦争は二度とあってはならない」と力を込めた。



