1909年10月26日、ハルビン駅で韓国統監府初代統監・伊藤博文を射殺した韓国の独立運動家、安重根(アン・ジュングン)。彼はその場で逮捕され、旅順に送られた後、裁判を経て1910年3月に処刑された。安重根は生涯に約200点の書を残し、裁判関係者や看守ら日本人に渡した。これらの遺墨が現在、空前の高値で落札され、韓国側に渡っている。特に「獨立」の2文字が書かれた遺墨は、韓国の複数の博物館が取得を望む象徴的作品だ。日本を舞台にした遺墨争奪戦が展開されている。
安重根の評価と映画「ハルビン」の影響
安重根の評価は日韓で大きく分かれる。日本では伊藤博文暗殺の実行者として「テロリスト」と位置付けられることもある。一方、韓国では独立運動家の次元を超え、植民地支配に抵抗した「民族の義士」だ。ソウル市内のあちこちに安重根の大型の肖像画や、薬指の第一関節から先が欠損した左手の掌印(手形)を目にする。1909年に11人の同志とともに指を切り、血で「大韓独立」と記して祖国の独立を誓ったことに由来する。彼が生前残した書には「指の欠けた手形」が押されている。
安重根は思想家として再評価も進んでいる。旅順の監獄内で未完の著作「東洋平和論」を執筆し、日本、韓国、中国が対等に連携し、西欧列強の侵略を防ぐという先駆的な平和共同体構想を提唱していたことに注目が集まっている。「思想家・安重根」にさらに脚光を当てたのが、2024年に韓国で公開され大ヒットした映画「ハルビン」だ。人気俳優ヒョンビンが主演したこの作品は、安重根を理想的な英雄としてではなく、失敗や挫折を経験し、苦悩する「普通の人」として描いたことで話題となった。
遺墨を巡る攻防と日本での所在
安重根への関心は処刑直前まで書き続けた遺墨にも向けられている。その文字には「死を前にした思想」が深く刻まれている。龍谷大学が所蔵する「獨立」の遺墨は、韓国側で関心が高い。しかし、日本に渡った遺墨の多くは「個人の所有物」であり、取得が難しいのが実情だ。遺墨は億円単位で落札されることもあり、韓国側の博物館が取得を望むも、所有者の意向や価格がネックとなっている。
ジャーナリストの五味洋治氏(東京新聞前論説委員)は、「安重根の遺墨は、日韓の歴史認識の違いを象徴する存在だ。映画効果でさらに注目が集まり、今後の動向が注目される」と指摘する。韓国では安重根を称える声が強く、遺墨の「里帰り」を望む声は大きい。一方、日本国内では遺墨の歴史的価値を認めつつも、テロリストの遺品として扱うことに慎重な意見もある。
今後の展望と課題
安重根の遺墨を巡る攻防は、日韓関係の複雑さを映し出す。映画「ハルビン」のヒットにより、安重根の思想や生涯への関心はさらに高まっている。日本に残る遺墨が今後、韓国側に渡るのか、それとも日本で保存されるのか。個人所有の問題や価格面での課題はあるが、歴史的な遺産としての重要性は日韓双方で認識されつつある。五味氏は「遺墨の行方は、単なる美術品の取引を超え、日韓の歴史認識や文化交流のあり方を問うものだ」と語る。



