週刊ファミ通編集長、雑誌不況で40年「奇跡」と語る
週刊ファミ通編集長、40年続けたのは「奇跡」

創刊40周年を迎えたゲーム総合誌「週刊ファミ通」の嵯峨寛子編集長が、読売新聞の動画インタビューに応じ、「紙の週刊誌として40年続けてこられたのは奇跡のようなことだなと思っています」と語った。

週刊ファミ通は、日本のゲーム産業やゲーム文化を発信し続け、雑誌不況の中で40年を生き抜いてきた。インタビューは読売新聞ポッドキャストの公式YouTubeチャンネルで配信している。

40年の歴史はゲーム業界の歴史

任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されたのが1983年。その3年後、ファミ通は「ファミコン通信」の名で創刊した。当時は隔週刊だった。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

創刊号のページをめくると、そこにはファミコンのディスクシステムで遊べた「ゼルダの伝説」の攻略情報が特集されている。嵯峨編集長は「ファミ通の40年の歴史は、ほぼそのままゲーム業界の歴史と言ってもいいかなと思っています」と話す。

ゲーム機の進化は著しく、近年はスマートフォンやパソコンでゲームをする層も増えた。「新しいメーカーが増え、ユーザーの遊び方も変わりました。ファミ通はすべてのゲームを紹介するメディアとして、時代の変化に合わせて取り上げてきました」と嵯峨編集長は語る。

発行部数は60万部から12万部に

ゲームの攻略情報はインターネットが主戦場になって久しい。発行元のKADOKAWA Game Linkageによると、週刊ファミ通は1990年代後半に60万部を発行していたが、現在は12万部にまで落ち込んでいるという。同社は「記録にはありませんが」と非公式であることを前置きし、1990年代中期のプレイステーション対セガサターンの「次世代ゲーム機戦争」の頃には、さらに発行部数は多かったと明かす。

嵯峨編集長は「ウェブメディアが発展する前は、攻略情報のニーズが非常に高く、いち早く攻略情報を読みたい人は、ファミ通を買って読む時代でした。今は、ネットに攻略情報がたくさん出る時代になりました。どうしても紙媒体だと追いつけないというのがあります」と言う。

ファミ通は、デジタル媒体「ファミ通.com」を開始し、誌面とデジタルのすみ分けを進めた。嵯峨編集長は今の誌面づくりを語る。「速報はウェブで取り扱うようにして、誌面は『買って読みたい』と思ってもらえるよう、じっくり読める長いコンテンツやビジュアルを重視しています。紙媒体の特徴を皆さんに知っていただくことができ、読み続けていただけていると思っています」

保存版にしたくなる誌面づくり

嵯峨編集長はファミ通の誌面を「ファミ通の柱でもありますし、デジタルが浸透した今だからこそ、逆にアナログの価値が上がってきたのかなと感じています」と言う。

「もちろんウェブサイトでささっと読むのは便利ですし、動画もあるとゲームの内容が分かりやすいです。しかし、買って、手にとって、自分のペースで大事に読むということが、コンテンツをより好きになる体験の一つかな」「それは紙媒体ならではの特徴だと思っています。昔は雑誌は読んだら捨てちゃう方も多かったかもしれません。ファミ通は、読み終わった後も本棚に取っておいていただけるような、長く手元に置きたくなる誌面構成を目指していて、そこがご好評いただいているのかなと思いますし、これからも続けていきたいと思ってます」

「コンプラ」とどう向き合う?

ライバル誌が次々と姿を消す中、ファミ通はいつの間にかゲーム総合誌の代表として「格式」のようなものを求められるようになった。そこに「コンプライアンス」という新たな「ボスキャラ」も登場した。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ

「昔はゲームメディアがたくさんあって、ファミ通はおバカな記事が多いのが特徴だったと思います。今、正直それは減ってしまっています。」「ゲーム雑誌が減って、ファミ通が老舗かつ王道のゲームメディアとしての面を持ち始めたことで、おバカすぎる方向性がやりづらくなった。コンプライアンスを考えると難しいというのもあって」

昨年、北海道の羊蹄山周辺を舞台にした「ゴースト・オブ・ヨウテイ」の発売に合わせ、編集部員が羊蹄山に登った体験記を記事と動画で配信した。「山を登るゲームメディアはなかろうと思いまして。たくさん特集をつくる中で『ちょっとクスッと笑えるような企画はほしいよね』っていう文化が編集部には今もありますね」

嵯峨編集長へのインタビューの後編は、日本のゲーム産業の未来について語ってもらった。