兄を手伝う帰郷が一転、十四代今泉今右衛門襲名までの苦悩と覚悟
兄を手伝う帰郷が一転、十四代今泉今右衛門襲名の苦悩

陶芸家の十四代今泉今右衛門さんは、京都の陶芸家・鈴木治さん(1926~2001年)の下で学んだ後、27歳で佐賀県有田町に帰郷した。十三代の父と兄・善雄さん(67)とともに家業に従事する日々が始まった。

兄の一言で始まった後継者問題

4年後の1994年正月、父が兄弟に「次の代をどうするか。1年かけて決めろ」と告げた。兄を手伝うつもりで帰郷しただけに驚いた。当時は家業として食器のデザインなどをこなす傍ら、自身のオブジェづくりにも打ち込んでいた。「跡を継ぐとか継がないとか考える余裕はなかった」と振り返る。

兄弟で相談することもなく迎えた翌年の元日。お屠蘇の後に家族が抱負を語る席で、兄が「作る方は弟に任せる。自分は売る方をする」と発言した。継ぐのは兄と思っていたため、「何を急に言い出すのか」と驚き、困惑した。善雄さんは後に「兄弟のどちらかが作り、どちらかが販売して次の代につなげることがうちの仕事だから」と語る。

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父の病没と襲名への道

当時60歳代後半の父は至って健康で、医師から「90歳代になっても大丈夫」と太鼓判を押されていた。「あと15年、20年もあれば自分も一人前になれるだろう」との考えもあり、将来の十四代襲名を受け入れた。

ところが、その6年後の2001年10月に父が75歳で病没した。翌年2月に十四代を襲名したが、「当代としてどうやっていけばいいのか」と途方に暮れた。1年後に襲名披露展が決まり、作陶に追われた。

酷評を乗り越えて生まれた納得の作品

「鍋島の様式っぽくないのではないか」「こうすれば十三代と違って見えるのでないか」。考えるほど迷いが生じた。東京の評論家に「このごちゃごちゃした作品はなんだ」と酷評された。幼なじみで、ともに武蔵野美術大で学んだ有田焼窯元、寺内信二さん(64)は、未明まで打ち込んだ姿を覚えている。「誠実な男だけに仕事に妥協せず、大変だっただろう」と当時の心中を推し量る。

確かに、それまで窯から上がってきたものは自分でもしっくりきていなかった。「作品というのは、自分の気持ちを物に託してどう伝えるか、ではないか」との考えに至った。「インパクトがない」などと考えるのはやめた。素直に作りたいものを作ったところ、納得する品が生まれた。

努力のかいはあった。03年3月に東京・日本橋三越本店で開かれた襲名披露展は大盛況で、約60点の作品はほとんどが売れた。

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