大連では日本人がいちばん偉かった。中国人を日本人の下と見做すことを誰も不思議に思わなかった。日本人と中国人との間に階層があることは明らかだった。それなのに、日本人のなかにも階層がある。その事実を日本に来て初めて、美貴子は知ったのだった。
門司港の家並みと旅の続き
門司港のそばには、家々も立ち並んでいた。屋根も板塀も壁も、煮しめたような黒や茶色で色がない。でもそれは、海風に吹かれた港町の家だからなのでは、と美貴子は思った。大阪や東京の都会に行けば、大連にあるようなカラフルな洋風建築が建っているに違いない。そう思った。
旅は続いた。宮島の鹿も奈良の鹿も可愛かった。奈良の大仏の大きさには度肝を抜かれたし、京都の寺の鐘の音が心を落ち着かせる、ということもわかった。伊勢神宮に行けば、確かにそこには目に見えない何かがあるような気がした。
大阪や東京には洋風建築はあったが、大連にあるようにカラフルなものではなかった。
心が動かなくなる旅の半ば
旅も半ばを過ぎて、何を見ても、心は大きく動かなくなった。最初は長旅の疲れと、ホームシックから来るものだと思っていた。けれど、大阪の天王寺や東京の上野で見せてもらった家々のことがどうしても頭から消えていかない。
木と紙でできた無彩色の家々。門司港のそばで見た家と、どこもそう変わりはなかった。
上座に座る意味
班ごとに移動し、家の中を見せてもらった。どの部屋も畳の部屋で、床の間のある客室に招かれたが、やはり美貴子の家の和室と同じように目立った家具はなく、床の間ばかりが立派に見えた。
どこに座っていいのかもわからず、おたおたしていると、床の間の前の座布団に座るようにすすめられた。「お客様ですから上座に座っていただきます」と家主にそう笑顔で言われたものの、「上座」という言葉がどうにも落ち着かない。部屋のなかで、座る場所によって上下関係が明らかになる、という考えをうまくのみこむことができない。それは大連のあの和室に対しても感じていたことだった。