ある日、美貴子は一人母に呼ばれた。「美貴子さん、あなたは日本で何をするつもりです?」と問われ、音楽の道に進みたいと答えると、母の眉間に深い皺が寄った。
母の反対と進学のすすめ
母は「音楽の道に進むことは許しません」と断言し、「あなたのようにしまりがなくて、何をしでかすかわからない人は、音楽学校に行けば必ず不良になるでしょう」と述べた。さらに、かつて海に向かって突然走り出したことを挙げ、「心臓が口から飛び出しそうでしたよ」と語った。
美貴子は、そんなふうに思われていたのかと悲しくなったが、確かに自分にはそんなところがあると認め、何も言い返せなかった。
女高師への進学を命じられる
母は一枚の紙を差し出した。薄い小冊子で、表紙には墨文字で「東京女子高等師範学校 受験の心得」とあった。東京女子高等師範学校は母の出身校でもあった。
「美貴子さん、あなた頭の出来は大変によろしい。女高師に行って先生におなりなさい」と母は言った。東京女子高等師範学校、通称女高師は、明治七年に設立された女子の中等教員養成機関で、この頃、裕福で学力の高い女子たちが目指す学校のひとつだった。
家事科への興味
先生になりなさいと言われたものの、学校の先生にはまるで興味がわかなかった。それでも、「あなたなら受かります」と言われれば悪い気はしなかった。小冊子をめくると、文科、理科、家事科があると記されており、家事科という言葉に妙に惹かれた。
「お母様、家事科とは何を勉強するところですか?」と尋ねると、母は「生活を科学的に探求し、生活の質を上げる学問のことですよ」と迷いなく答えた。